「いつも気を使い過ぎて、心が疲れてしまう」「このままで大丈夫なのか、自信がない」と不安になったりモヤモヤしてしまうことはないでしょうか? そんな悩みを吹き飛ばし、胸が晴れる気持ちにしてくれるのが『精神科医が娘に送る心理学の手紙――思い通りにならない世の中を軽やかに渡り歩く37のメッセージ』です。悩む人たちに40年以上向き合ってきた精神科医が、自分の娘に「どうしても伝えたかったこと」を綴った本書は、韓国で20万部を超えるベストセラーとなりました。本記事では、その内容の一部を紹介します。

運命に対していかに振る舞うか選ぶ自由がある
ここに極限状態に置かれた男性がいる。ヴィクトール・フランクル。ユダヤ人の精神科医だ。
1942年、彼はナチスによりアウシュヴィッツ強制収容所に送られる。
彼の両親や妻、子どもたちも例外ではなかったが、やがてばらばらに引き離されて生死も分からなくなった。そんな状況下でフランクルは強制労働に追い立てられながらも、厳しい寒さに耐え、ひとかけらのパンや一皿のスープで日々を生き抜いた。
恐怖と不安、飢え、身を切るような寒さまで。人間の尊厳をも奪われた収容所での生活は残酷そのものだった。最も耐えがたかったのは、いつ自分の命が奪われるとも分からない恐怖だった。
ある者は飢えて死に、ある者は伝染病で死んだ。またある者は鞭《むち》でなぶり殺され、ある者はガス室に連行され永遠に戻ってこなかった。
そんな死と隣り合わせの恐怖の中で絶望の淵に立たされながらも、フランクルは決して奪われることのない人類最後の自由に気付く。それは、どんな状況にあっても「与えられた運命に対していかに振る舞うかを自分で選ぶ自由」だった。
人は思わぬ状況に直面することがある。不慮の事故で体の一部を失うこともあれば、愛する人を突然失うこともある。こうした状況自体を変える力は人間には備わっていない。フランクルが強制収容所に送られるという状況を変えることができなかったように。
しかし、状況をどう受け止めていくのかはその人の自由だ。たとえば、交通事故に遭い車椅子生活を余儀なくされても、人生が終わったと悲観して自滅するのか、命があることに感謝しながら第二の人生を生きるのかは、本人の心持ち一つに懸かっている。
それだけではない。フランクルは、「自分が生きる意味を知っている人は、どんな状況下でも耐えられる」と語っている。実際に、収容所から生きて帰還した人たちのほとんどが、生きる意味を明確に自覚していたと証言している。
あなたは今、絶望に陥っている?
自力でできることは本当に何一つなさそう?
人は誰でも絶望に陥りやすいもの。しかし、絶望の沼にはまったままでいるのか、這い上がって希望を追い求めるのか、どちらを選ぶのかはあなたの自由だ。
フランクルが家族の消息を知ったのは、収容所から解放されてからのことで、全員が収容所内で死亡したという悲しい知らせだった。
この世にたったひとり残されたという事実に絶望したフランクルはひどく苦しんだが、それでも絶望にとどまることはなかった。
彼は家族を失くした悲しみを乗り越えて、アウシュヴィッツで3年間見聞きしてきたことを『夜と霧』という一冊の本にまとめたうえ、生きる意味を軸とした「ロゴセラピー」という心理治療理論を生み出して精神分析学の発展に大きく寄与した。
人の一生は、数えきれないほどの逆境と苦難の連続だと言っても過言ではない。
しかし、フランクルの人生を通して分かるように、どんなに厳しい苦難であっても、人間にはそれを乗り越える力がある。
心理学ではその力を「レジリエンス」「心の弾力性」と呼んでいる。
ゴムボールを力いっぱい地面に投げつけると、ボールは落とした位置よりも高く跳ね上がる。
レジリエンスはこのゴムボールのようなもので、苦難や失敗を、成功に導く原動力に変えるのだ。
(本記事は『精神科医が娘に送る心理学の手紙――思い通りにならない世の中を軽やかに渡り歩く37のメッセージ』の一部を抜粋・編集したものです)