あらゆる場面に潜む
「囚人のジレンマ」の一例
基本的な考え方がわかれば、あらゆる場面に囚人のジレンマが、要するに集団行動の問題点が潜んでいることに気づく。集団行動が抱える問題は、実際にあらゆる場面で確認できる。一般的に広く知られている例として、天然資源の枯渇の問題を指摘できるだろう。
この問題は、すでに18世紀にスコットランド人哲学者のデイヴィッド・ヒュームが予見し、ギャレット・ハーディンが考察してからは「コモンズの悲劇」として知られている(注1)。
米国人生態学者のハーディンは、特定の所有者に属さない牧草地や漁場などの天然資源は、そのキャパシティを超えて搾取される傾向があると説いた。そこを利用する者にとっては、ほかの利用者の行動――控えめか搾取的か――に関係なく、資源を過剰に利用することが個人の利にとっては最善の戦略だからだ。
この不正行為によりもたらされる利益は個人が享受する一方で、その犠牲は「外部化」され、残りの集団が被ることになる。
日常に散見される問題の多くは、集団行動の問題として分析が可能だ。高速道路の渋滞の多くは、事故車を一目見ようとして減速する野次馬によって引き起こされる。1人が減速すると、後続車も次々と減速せざるをえなくなる。芝生を横切ることは、個人にとっては近道となって有益かもしれない。しかし多くの人が同じことをすると、芝生が台無しになってしまう。
経済学の世界では、ソースティン・ヴェブレンが『有閑階級の理論』を発表して以来、「誇示的消費」という考えが知られている。本質的な満足感はもたらさないが、社会的地位という点で特定の働きをもつステータスシンボルにかなりの犠牲を費やすことを意味する。
ただし、それらには他人が同等の商品を所有していない場合にのみ価値がある。もし、他人も同じものをもつようになると、みんな損をしたことになる。みんなお金が減ったし、誰もハッピーではない。最初から見栄なんて張るべきではなかった、という状況に陥る(注2)。
注2 Veblen, Th. (2007 [1899]). The Theory of the Leisure Class. New York: Oxford University Press (deutsche Aus-gabe: Theorie der feinen Leute. Eine okonomische Unter-suchung der Institutionen. Frankfurt am Main: Fischer 2007)