
人類は、家族や仲間と協力し合うことで生存の可能性を高めてきた。しかし時には、仲間の利益を守るために殺戮や略奪すらも厭わず、そして自らの利益のために「協力」を放棄するフリーライダーによって横取りされることまである。長い歴史の中で人間はどのようにしてモラル=道徳を持つようになったのか、気鋭の哲学者がさまざまな理論や研究結果をもとに解き明かす。※本稿は、ハンノ・ザウアー著、長谷川 圭訳『MORAL 善悪と道徳の人類史』(講談社)の一部を抜粋・編集したものです。
人間の集団の大きさは
せいぜい150人が限度
進化的に適応した環境で、人類は小さな集団を形成して暮らしていた。進化人類学では、「ダンバー数」という考え方が重視される。イギリス人進化心理学者のロビン・ダンバーは霊長類の大脳新皮質の大きさと、集団のメンバーの最大数とが相関していることを証明した。集団が大きくなるほどメンバー同士の関係の形も複雑になり、脳の情報処理システムに負担となるからだ(注1)。
個人は誰が信用できるかを見極め、社会内の評判につねに耳を傾ける必要があった。そうしなければ、誰がよき友で、誰がよき教師なのか、あるいはその両方なのか、狩りや料理や獲物の追跡が得意なのは誰なのか、あるいは誰が誰をいつ、どのぐらい侮辱したか、わからないからだ。
私たちには協調的な関係を永続的に強く保つためのツールがないため、共同体は規模が大きくなっていくと、しだいに不安定になる。ダンバーは、人間の集団の場合、大脳の平均サイズから計算して、集団の自然な大きさは150人が限度だと主張した。
この数字は、部族集落から軍組織の部隊構成にいたるまで、あらゆる文脈で確認できる。俗な言い方をすれば、バーで気兼ねなくいっしょにグラスを傾けられるのは、最高でも150人までなのだ(注2)。
だが人間社会には、150人よりもはるかに大人数を統合する特殊な能力もある。しかし、それが可能になったのはあくまで最近のことで、そのためにはより大きな集団の形成を協調的にコントロールする制度的枠組みがなくてはならない。自発的に発生した集団は、数による負担が強くなれば分裂する。
小さな集団で生きるように適応してきた人類の祖先は、永続的な(少なくとも潜在的な)矛盾を抱えていた。一方では、予測不可能な環境下での進化の過程において、私たちはわずかな天然資源をめぐって激しい衝突を繰り返してきた。
だからといって、トマス・ホッブズが主張したように、人間こそが人間にとってのオオカミだ、とまで言えるかどうかはわからない。しかし、人間の集団がかなり敵対的な関係を築いていたということは、考古学データの解析を通じてはっきりと証明されている(注3)。
注2 Dunbar, R. (1996). Grooming, Gossip, and the Evolu-tion of Language. London: Faber & Faber (deutsche Aus-gabe: Klatsch und Tratsch. Wie der Mensch zur Sprache fand.
München: Bertelsmann 1998), 77
注3 Pinker, S. (2011). The Better Angels of Our Nature. The Decline of Violence and Its Causes. London: Allen Lane (deutsche Ausgabe: Gewalt. Eine neue Geschichte der Menschheit. Frankfurt am Main: S. Fischer 2011), 31 ff.