ビームの経営統合という
大仕事を振り返る
サントリーのグローバル化が加速する原動力となったのは、社長就任直後に待ち構えていたビームとの経営統合という大仕事でした。このPMIを通じて得られた成果や教訓について、お聞かせいただけませんか。
PMIを進める際にプロセスを大きく2段階に分けました。前半の5年間でインテグレーションを進めたのち、後半の5年間でブランディングを強化し、より多くのお客様に愛される商品づくりを目指しました。
また、具体的に統合を進めるうえで、2つの現場を重視しました。まずは生産現場です。「All for the Quality」の下、品質の向上を徹底しました。そして、もう一つは営業現場です。お客様とのコミュニケーション、エンゲージメントを大切にしました。この2つの現場の強化を徹底してやり抜いたのです。
生産現場改革については、美味品質に徹底的にこだわり、品質を高め続ける姿勢なくして成功はないと考えていました。当時のビームは短期志向がゆえ、コストをかけない状況が続いていましたから、たとえば工場の施設等に不備があっても放置しているようなケースが多々ありました。流通においても、我々からすれば考えられないことばかりでした。アメリカでは禁酒法の名残から、メーカーの仕事は卸店に販売した時点で終わり、飲食店とは直接取引ができません。ですから売ったら終わり、その先は卸店の仕事というのが当たり前の認識でしたし、ブランド力があるから放っておいても売れるだろうという考えがビーム内に染み付いていました。一方、自分自身がとにかく現場を回り、ものづくりや消費の現場を重視するというのがサントリーの考え方です。よって我々は、こうしたビームの状況を根本から変えることにしたのです。
まずは工場の設備投資を倍増し、よい商品をつくるための基盤を回復させました。さらに日本の技術者との人事交流、具体的にはケンタッキー州のバーボンのつくり手とサントリーのブレンダーたちによる情報交換や協業も始めました。ものづくりの理解者であり実践者でもある彼らはすぐに意気投合し、互いのものづくりの要諦を共有しながら学び合っていきました。その象徴的な成果の一つといえるのが、日米共同開発のバーボンウイスキー「LEGENT」です。最高品質への強い思いの共有と両社のたゆまぬ努力によってウイスキー品質が進化したことを実感しました。新しい価値を生み出す生産現場へと大きく変わっていったのです。
営業現場の改革にも着手しました。マーケティングとは、単に顧客の興味を引くためのギミックではなく、よい商品をエンドユーザーである消費者に届けていくための仕掛けです。そのためには小売店だけでなく、飲食店スタッフやバーテンダーなど私たちと消費者をつないでくださる店舗の方々に、本当によい商品だと理解していただき、そのおいしさをエンドユーザーに届けてもらわなければならない。我々の商品をお客様が口にして「おいしい」と感じていただくことで、初めてマーケティングは成功といえるからです。サントリーがこだわり続けてきたこの「飲用時品質」を、5年間かけて徹底的にビームの営業現場に移植してきました。2024年には、アメリカにはない「EISUI」(営業推進)の機能を北米市場に導入しました。ブランドを設計する「マーケティング」と販売の最前線の「営業」をつなぎ、横断的、俯瞰的な立場で対流通戦略・戦術を策定して営業部員たちを支援する機能です。北米市場ならではのEISUIの形を確立し、競合他社にはできない競争優位を築き上げてもらいたいと期待しています。また、シカゴ郊外のディアフィールドにあった本社をシカゴ中心部に移転し、さらに2022年にはニューヨークに移転しました。お客様を理解するうえで、トレンドが生まれる場所で働き、商品の現場を理解するため、また組織体制を刷新し、グローバルな事業展開を加速させるためです。事務所のコストだけでなく、社員の通勤や居住の負担も増えるので反対の声も多かったのですが、時間をかけて納得してもらいました。
改革に費やした10年間に人も少しずつ入れ替わっていきましたが、よい商品の飽くなき追求とともに、営業現場を大切にしてお客様との接点にこだわること、そしてその結果としてよいブランドをつくり上げていくことが、次第にビームの組織全体に浸透していったのです。その結果、商品の質が向上し、生産性も上がることでグロスマージンが改善し、収益も従業員の給与も上がって現場の士気も高まりました。現場の社員からも「サントリーが来てくれて本当によかった」と感謝された時は本当に嬉しかった。創業精神に基づく「サントリーイズム」が現場に受け入れられた瞬間でした。ちなみに現場改革において気をつけたのは、日本からお目付役となる幹部を送り込んで監視したり、コントロールしたりするような一般的なPMIアプローチはいっさいしないということでした。代わりに我々がやったのは、日本から30〜40代の中堅社員たちを多くの現場に派遣したことです。彼らにはサントリーイズムをビームに移植してもらうだけでなく、グローバルな視点と海外での実践知を身につけてもらいたいと考えました。ビーム買収当時、サントリーグループ内にはグローバルの実務経験が豊富な人財がそれほどいませんでしたが、ビームでの経験を積んだ彼らが日本に戻り、その実践知をいまは日本の現場に広めてくれています。
ビームのPMIの軌跡と重なる、社長としての10年は大変な道のりでしたが、こうして国内外で人財が育ち、組織が強くなったことを考えれば、その苦労をはるかに上回る喜びを得られたと思います。
ビームサントリーは2024年4月、「サントリーグローバルスピリッツ」に社名を変更しました。「ビーム」というブランドが社名から消えることに現地の抵抗はなかったのでしょうか。
おっしゃる通り、社名変更には懸念もありました。アメリカでは外資による買収が政治問題化するケースも多々あります。せっかくPMIが首尾よく進んでいたのに、社名の変更で「なぜ日本企業に取られてしまったのか」というアメリカ世論の反発が起きるのではないかと非常に気がかりでした。バーボンは単なる製品ではなく、古きよきアメリカのアイコンであり、アメリカ人のアイデンティティと深く結び付いていて、伝統と誇りの象徴でもあるからです。しかし、高品質の商品を永遠に出し続けるというサントリーの思想がビーム内にも定着したからこそ、我々は「もう後戻りしない」という不退転の決意を社名変更で示す必要がある。そのためには、社員を含めた現地関係者に対してのていねいな説明が必要だと考えていました。
ところがふたを開けてみれば、それは杞憂に終わりました。むしろ現場の社員が社名変更に積極的で、仲間を説得してビームという名前がなくなることへの不安を払拭してくれたのです。これには驚きました。最も印象に残ったのは、ケンタッキー州にある生産現場のトップが社名変更を強く支持してくれたことです。ビーム創業家も蒸溜所への投資を続けてきた姿勢を評価してくれて、社名変更に快く応じてくれました。これは、成功するまでやり抜くという「やってみなはれ」の精神とともに、事業活動で得たものは、自社への再投資に留まらず、お客様へのサービス、社会に還元する「利益三分主義」、飲用時品質に象徴されるものづくりへのこだわり、これらに代表されるサントリーの企業理念が現地に受け入れられた証左でもあります。グローバリゼーションの中でサントリーイズムが進化していると言ってもいいかもしれません。
ちなみにアメリカの企業では、M&Aにおいては本部の権限が強く、コンサルティングファーム出身者が経営戦略やファイナンス、マーケティングをトップダウンで進めていくのが一般的です。しかし、我々サントリーは現場こそが重要だという信念の下、PMIを進めてきました。現場の声を聞き、対話し、理解し合い、共通の理念を持つ。時には丁々発止のやり取りもしながら、壁を取り払い、サントリーイズムを浸透させることに腐心してきました。その結果、生産現場でも営業現場でも、違和感なく社名変更が受け入れられた。これこそPMIの真価が発揮された場面だったと思います。この成功を通じてサントリーはグローバル企業としての力を蓄え、異なる文化を受け入れながら統合していくノウハウを培うことができました。こうした経験は、今後のグローバル展開においても財産となるはずです。特に品質の追求、営業現場の重要性、よいブランドをつくり上げていくという文化の定着は、持続的な成長の基盤となります。社名変更は単なる看板の架け替えではなく、10年にわたる「統合の総仕上げ」であり、「新たな出発点」でもあるのです。