企業にも求められる
インテリジェンス能力

 米トランプ政権の再来、ウクライナとロシアの紛争やパレスチナ問題、台湾有事といった地政学リスクに加え、それに伴うコストプッシュインフレによって、グローバルサプライチェーンの強靭化は日本企業の喫緊の課題となっています。混迷の度を深める世界情勢を踏まえ、国策頼みにならない「企業版経済安全保障」のあり方についてのお考えをお聞かせください。

 ここ数年で企業を取り巻く環境は大きく変化しました。コロナ前は、海外戦略といえば、事業展開する国々の人口動態や経済指標といった基礎データを見て、その国の市場を攻略する方法を決めていました。しかし、いまは地政学的な要因が経済に大きな影響を与える時代になっています。こうした時代の変化に対して、企業はレジリエンス(適応力)を持たなければならない。グローバルなマネジメント力が問われていると言っていいでしょう。

 そこでサントリーは2023年1月にインテリジェンス推進本部を設置し、専門家を招聘してワシントンDC、ニューヨーク、シンガポール、ロンドンにネットワークを構築しました。我々はみずから現地のシンクタンクや議会関係者と接点を持ち、世界情勢を刻々と追っているのです。

 現在、私は業務の3分の1を地政学関連の情報収集と分析に費やしています。経営者というのは、どんなに不確実性が高くても、そのつど、難しい意思決定をしなければなりません。VUCAといわれる時代においては「将来がどうなるかわからない」のはその通りですが、経営者がそう言って手をこまねいているのは無責任極まりない。経営者に必要なのは、不確実な状況下でも意思決定をするために不可欠となる徹底的な情報収集と分析、すなわち「ビジネスインテリジェンス」が必要なのです。

 たとえば2024年11月のアメリカ大統領選挙に際しては、ドナルド・トランプ氏の再選が決まる前から、トランプ政権再来がウクライナ戦争にどう影響を及ぼすのか、それに伴ってロシアへの経済制裁は緩和されるのかといった可能性を、我々は検討し続けてきました。また、中東情勢も当然注視する対象です。パレスチナ問題やホルムズ海峡の情勢、イランの核開発問題の行方などはウォッチしていますし、私自身も直接中東を訪問し、サウジアラビアの首都リヤドで、外相をはじめ複数の外務担当者と会談しました。日本はいまだに原油の90%以上を中東に頼る状況にあります。これらの供給が止まったらどうするのか、そうしたことを念頭に置きながら、現地で得た情報などさまざまな要素を分析しているのです。

 台湾有事に備えた情報収集も行っています。さまざまなネットワークを通じた情報をもとに、有事の際に台湾や上海に在住する社員の安全をどう確保するかなど、具体的な行動計画を準備する必要があるからです。世界情勢が大きく変化し、先行きが見通せない時代となりましたが、少なくとも我々は最低3つのシナリオを策定し、それぞれに対応するプランを用意しています。

 大切なのは、シナリオを「複数」用意すること。これがグローバルサプライチェーンというアジェンダを抱える今日の経営者にとって、必須条件となります。一つのシナリオに絞ってしまうと、状況が変化した際の選択肢がなくなってしまう。従来の日本企業はコスト面からプランBやプランCを持つことを避ける傾向がありましたが、「プランAだけ立てて、後は根性で乗り切るしかない」では、VUCAといわれるこの時代で戦うことはできません。

 世界各地にネットワークを築き、情報を収集・分析し、複数のシナリオを用意して状況に応じて計画を切り替えられる体制を整えていくには、相当なコストがかかります。ただ、不確実な中で経営者がさまざまな意思決定をしていくうえでも、こうしたコストは必要な投資だといえるでしょう。地政学リスクに対する備えを強化することはグローバル企業として避けて通れない課題であり、コストをまかなえるだけの利益を確保できなければ、真のグローバル企業としての条件を満たすことはできません。もちろんサントリーもまだその途上にありますから、今後さらなる体制強化を進めていきます。