昨今、特に都心であればプライバシー侵害やハラスメントなどと非難されそうだが、ナマハゲ台帳は「誰かをおとしめるためのネタ帳」ではなく、「地域みんなで助け合うための情報源」なのである。この仕組みが先輩から後輩へと代々受け継がれ、コミュニティーを支える若者の育成、あるいは地域に対するエンゲージメントにつながっている。地域にはお互いを見守ったり、時には叱ったりしてくれるような人が必要だが、まさにその役割や機能がこの地域では長らく伝承されている。

人間関係が希薄な社会で
横行する行政へのカスハラ

「ナマハゲ」のような伝統行事が残る地域を別にすれば、全国どの地域でも人と人との関係が希薄になってきていることは否めない。多くの人が日常生活でストレスを抱え、自分勝手、自分都合、わがままになっている。匿名性の高さを逆手に取り、ネット上では無責任な投稿で面識のない人たちを誹謗中傷する。

 行政に対するクレームやカスハラも多く、時には職員を自宅に呼びつけ長時間にわたって“サンドバッグ”状態にする人もいる。反論しようものなら、それもまたネットにさらされる。本来、自治体というのは「自治が積み上げられた結果としてつくられているもの」である。地域住民を含めてみんなの善意の塊でなければいけないはずなのに、役所はとかく目の敵にされがちで全く正反対の構図になってしまっている。

 いつの時代も人として重要なのは、1人のときにこそ節度を持って良い行動ができるかどうかである。共につくる公のために、また大いなる共感をつくるために責任ある言動ができるかどうか。1人ひとりが建設的に社会にコミットし、自分なりに考えて行動する。そして当事者意識を持ち、自律した住民を巻き込んでいくことが「公共」を変えるということだ。いいコミュニティーを形成できれば民度も上がっていく。憲法12条には「自由と権利を永遠に保障するが、自由というのは公共の福祉のために使うもの」と記されている。