自分の生き方や置かれた状況に「悩む人」がいる一方で、同じ環境にいても「悩まない人」がいます。ではどうすれば、「悩みやすい不幸体質」を卒業して、「絶対に悩まない人」になれるのでしょう。
その方法を教えてくれるのが、書籍『不自由から学べること ―思いどおりにいかない人生がスッとラクになる33の考え方』です。12歳からの6年間を「修道院」で過ごした著者が、あらゆることが禁止された暮らしで身につけた「しんどい現実に悩まなくなる33の考え方」を紹介。悲観でも楽観でもない、現実に対するまったく新しい視点に、「現実の見方が変わり、モヤモヤがスッと晴れた」といった声が多数寄せられています。この記事では本書より一部を抜粋・編集し、「ルールに縛られたときの考え方」を紹介します。

【絶対に悩まない】メンタルが強い人が「ルールに縛られて苦しいとき」にやる“たった1つのこと”とは?Photo: Adobe Stock

制限ばかりの修道院で「許されていた」こと

 ルールや規則に合わせられないとき、ストレスを抱えたり、合わせられない自分のことを責めたくなったりするものです。そんな自分のことが、嫌になることも当然あるかと思います。

 でも、その気持ちを否定したり閉じ込めたり、無理に前向きにとらえたりする必要はありません。

 制限ばかりの修道院でも、許されていることがありました。
 それは、「本音を吐露する」ことです。

 カトリックではミサの前後に「告解」という儀式があります。週に一度、自分の悪いおこないを神父様に伝えて許しを乞うというものです。

 修道院では厳しいルールが課される一方で、人間はそれほど強い生き物ではないということも、ちゃんと理解されています。そのため、神様に相談する場が用意されているのです。

自分の中の「罪悪感」を神様に預ける

 神父様からは一言二言アドバイスをいただくだけなので5分程度で終わりますが、正直にお話しするわけですので、これがとても恥ずかしいのです。

 とはいえ正直に罪と向きあわなければ、この儀式をする意味がありません。そこで、この告解の時間に、不満や悩みを神様に呟いてみるようにしました。

 たとえば「教会に行こうとしたけど、サボりたくなって行きませんでした」など。自分の中のモヤモヤとした罪悪感を告白していました。

 すると、それが精神衛生上とても良い習慣だと気づいたのです。
 私は幼少期から答えの出ないことをぐるぐると悩む癖がありましたが、そんなモヤモヤも神様にお伝えすることで手放せました。自分の中の罪悪感を神様に預けた感覚になり、不思議と心が軽くなったのです。

 悩み事を書いた紙を破ると気持ちがスッキリすると言われますが、それと似た感覚かもしれません。

心の中で「モヤモヤ」を呟こう

 社会に出てからも、年功序列の給与体制とか、男女で差別された座席配置とか、本当に時代遅れで無意味だとゲンナリすることがたくさんありました。

 そんなとき、私は今でもフラッと教会を訪れることがあります。
 そして声には出さずに、自分のモヤモヤを呟いてみるのです。

 とくに、自分だけの力ではどうにもできない壁にぶつかり、抱えきれない感情が生まれたとき、それを天に預けてみると、精神が整います。

 実際に声に出さずとも、心のなかで声にしてみるだけでかまいません。
 すると、神様が一緒にその罪を背負ってくれて、ほんの少しだけゆるされたような気がしてきます。

 修道院で学んだこの儀式が、今でも私を支えてくれています。

(本稿は、書籍『不自由から学べること ―思いどおりにいかない人生がスッとラクになる33の考え方』の内容を一部抜粋・編集して作成した記事です。書籍では他にも、「悩みが消える考え方」を多数紹介しています。)