イリノイ大学の泌尿生殖器外科に所属するリッドストンは、専門分野の深遠な著作以外に、『はったり屋ジム』、『紳士たち』、『水ギセル越しに』といった小説まで、世にも稀な幅広いジャンルの著作を世に送り出した、節操のない人間として知られている。この男と出くわしたときのことを、フィッシュベインはこう書いている。
「ちょっとおしゃべりをしていたら、ふいに彼が『ここに手を入れてさわってごらん』という。上着とシャツの前をはだけて、彼はわたしの手を脇腹に導いた。左右どちらの脇腹にも6個以上の小さなこぶがある。これはいったい、なんだと尋ねたところ、『睾丸だ』という。肉体を若返らせるために、死体から入手した睾丸組織を自身の皮下に移植したのだそうだ」
ブラウン=セカール以来、ほとんどの実験は、下位の霊長類の生殖腺を人間に移植するものだった。ところがリッドストンはここで大きな飛躍を果たした。すなわち人間の睾丸を人間に移植するということをやってのけたのだ。「別に大それたことをやろうとしたわけじゃない」と彼は書いている。
「簡単な話だ。つまりなんらかの危険をはらむ実験に他人を巻きこむのはフェアじゃないというのがまずひとつ。医者の友人に頼んで手術をしてもらったら、自分がその世界の先駆者になるチャンスを逃してしまうというのがもうひとつ。だから自分を実験台に、自分で手術を行うことにした」という。
その結果、ニューヨーク・タイムズ紙のフレーズを借りれば、彼は外科医、患者、臨床立会人の「尋常ではない三位一体」を実現したのである。
たいていの宦官は
肥満して病気がちだった
ロシアに生まれてフランスに帰化したドクター・セルジュ・ヴォロノフは、パリを本拠地に、コレージュ・ド・フランス(フランス国立の高等教育機関)生理学研究所所長として活躍した。
「フランス人よりもフランス人らしい」という友人の言もある魅力的な人柄で、身長は6.4フィート、たくましい想像力を持っており、生殖腺と長寿に興味を持ちはじめたのは1898年と早かった。