プーチン宛の書簡を公表
ついにマリーナが動き出す

 捜査が大詰めを迎えていた2007年1月末、マリーナは短時間、自宅に帰るのを許された。

 ポロニウムによる毒殺と判明した直後に封鎖されて以来、約2カ月ぶりだった。家族3人で暮らした思い出の詰まった家である。

 アナトリー(リトビネンコ氏の長男)の学用品を持ち出す必要があった。台所の果物は、2カ月前と同じところに置いてあり、周辺ではハエが飛び、あちこちに小さな虫がいた。マリーナは私(筆者)に、映画『羊たちの沈黙』を観たかと聞いてきた。ジョディ・フォスターとアンソニー・ホプキンスが出演し、1991年に製作されたサイコ・スリラー映画である。

「殺人犯の部屋が蛾でいっぱいになるシーンがあるんです。あれを思い出しました」

 翌2月から、マリーナが動き出す。プーチンにあてた書簡を米紙ニューヨーク・タイムズに発表した。

〈もしもあなたと、あなたの国が無実ならば、助けてください〉

〈あなたが英国当局への協力を拒否するなら、何かを隠しているからです〉

 書簡でマリーナは、英国の捜査に協力してほしいと呼びかけている。

〈(暗殺について)あなたが最終的な責任を負っていると、私は言っていません〉

 と批判的なトーンは抑えられている。公開書簡のアイデアは誰が思いついたのだろう。

「ゴールドファーブ(※8)です。ロシア政府は捜査をする気がない。だからプーチンに手紙を書くようにと。彼によると、ルゴボイたちの関与は明らかであるにもかかわらず、責任を追及できない可能性が高まっていたようです」
(※8)…編集部注/アレックス・ゴールドファーブ。ロシア系米国人でマリーナの支援者

 返事が来るかもしれないと期待を抱いた瞬間があった。5月になって突然、在英ロシア大使館から連絡が入ったのだ。電話の相手はこう言った。

「大統領に手紙を書いたのはあなたですね」

「そうです」

「返事をしたいと思います。大使が面会を求めています」

「どこに行けばいいのですか」

「大使館に来てください」

 マリーナは大使館に入るのが怖かった。夫はプーチンを批判して亡くなった。英国の主権の及ばない大使館では、何が起きるかわからない。

「どこかほかの場所で会えませんか」

「大使の公式会合は大使館内と決まっています。ほかでの会合は許されないのです」

 マリーナは絶対に1人で行くべきではないと思った。

「弁護士と一緒に行ってもいいですか」

 大使館側は条件を受け入れた。会合は22日になった。