叱責の内容は仕事に関わることであっても、これはアドラー(1*)がいう「支戦場」(『子どもの教育』)で叱責することです。支戦場というのは、本来の仕事の場である本戦場と対比した言葉です。

 上司が部下の仕事について指摘しなければならないことは当然あります。その指摘が適切であれば、部下は納得するでしょうが、自分より有能な部下に反論され自分の優位が脅かされることを恐れる上司は、仕事自体ではなく部下の人格を非難して部下の価値を貶めるのです。

(1*)…編集部注/精神科医で心理学者のアルフレッド・アドラー

相手の価値を下げて
自分の価値を高める

 仕事は結果を出さなければなりません。自分が結果を出せることもあれば、当然、他の人がいい結果を出すこともあります。しかし、他の人がいい結果を出すことを認めたくない人がいます。三木(1*)は次のようにいっています。
 

「嫉妬は、嫉妬される者の位置に自分を高めようとすることなく、むしろ彼を自分の位置に低めようとするのが普通である」(『人生論ノート』)

 これはアドラーが、相手の価値を低めることで相対的に自分の価値を高めようとするといっているのと同じです。

「嫉妬がより高いものを目差しているように見えるのは表面上のことである。それは本質的には平均的なものに向かっているのである」(前掲書)

「嫉妬とはすべての人間が神の前においては平等であることを知らぬ者の人間の世界において平均化を求める傾向である」(前掲書)

 突出する人を妬み、足を引っ張ろうとするわけです。他の人が手に入れた成功を妬むだけでなく、まして喜んだりはしないで、他の人がそれを失うことを願うこともあります。

『イソップ寓話(ぐうわ)集』には、次のような話が出てきます。狐が罠にかかって尻尾を切り取られました。恥ずかしくて、生きていくのもつらい狐は他の狐にも同じようにさせなければならないと考えました。皆を集めて、「こんなものは不細工なだけでなく、余計な重みをくっつけていることにもなる」といって、尻尾を切るよう勧めました。

(2*)…編集部注/哲学者の三木清