安倍政権の下で異次元緩和を推進した政府・日銀は2%の物価目標を掲げて人々の期待に働きかければ、予想(期待)インフレ率が高まり、経済活動が活発になると説明してきた。アメリカの主流派経済学の考え方を取り入れた政策でもあった。
経済対策だけではない。人口の高齢化に伴う社会保障予算の増加もあり、毎年の政府予算(支出)は膨らみ続け、財政赤字と公的債務が累増している。
むなしい政治家の言葉
「政策を総動員する」
しかし、残念ながら経済はそれほど上向かず、生活の苦しさを訴える人が増え続けた。日銀は10年あまりにわたって人々の「期待」(予想)に働きかけたが、国民は日銀の思惑通りには動かなかった。生活の苦しさを実感する国民の多くは主流派経済学が想定する「代表的な個人」ではなかったのである。
マイナス成長に陥った年は少なく、全体で見れば「景気後退期」より「景気拡張期」の方が圧倒的に長いのだが、国民の多くが「景気回復」を実感できない。安定成長期に完成した日本型平等社会はいつのまにか崩壊し、「日本型不平等社会」とも呼べる格差社会が目の前にある。
90年代以降の政府・日銀の動きを客観的に評価してみよう。経済成長率がほとんど上昇しなかった一点だけに注目すれば落第点を付けるべきなのかもしれないが、政府・日銀が手を抜いていたようには見えない。
政治家は「政策を総動員する」という言葉をよく使う。政府は90年代以降、その言葉通りに財政支出を急増させ、できる限り金融を緩和したにもかかわらず、十分な結果を出せなかった。
それでは、国民の努力が足りなかったのだろうか。そうは思わない。もちろん個人差はあるが、多くの人は長時間労働もいとわずに懸命に働き、経済成長に貢献してきた。高度成長期や安定成長期には、そうした努力が企業の成長、さらには国の経済成長につながり、結果として多くの人々の生活水準は上がった。
90年代以降も同じように、あるいはそれ以上に努力を続けてきたが、生活が苦しくなったと感じる人が増えた。政治家の「政策を総動員する」という言葉はむなしく響き、不信感が広がっている。
時代遅れのケインズ経済学に
しがみついての財政出動
不況に陥ったら政府が経済全体を底上げすれば良いという発想はケインズ経済学が提示する処方箋であり、第2次世界大戦後、1970年頃までは効力があった。