ケインズが『一般理論』(1936)を著す前の1930年代初頭に高橋是清(当時の大蔵大臣、今の財務大臣にあたる)は拡張的な財政・金融政策に踏み切り、不況から脱出した。

 ケインズ政策を先取りしていたとの評価もある。日本には「民が困ったときは官が助け舟を出す」というケインズ主義を受け入れる土壌がある。

 しかし、ケインズ政策の効果が薄れ、学界でのケインズ経済学の権威が失墜している状況にあっても、日本政府は90年代以降、不況時だけでなく、自ら設定した「緊急時」(実際には平時)にも、経済対策の名の下で財政支出を増やし続けている。

 財政出動をすれば、景気を下支えする効果はゼロではないが、国民の多くはその効果を実感できないままに財政赤字の膨張に拍車がかかるのがこれまでのパターンだった。日本型不平等社会では、伝統的な手法は通用しづらくなっているのだ。

 そして、経済対策という名の恒例行事が終わると、政府は再び平常運転に戻り、国民に自助努力を求める。国民ひとり一人が努力すれば経済がうまく回るという発想は、新古典派経済学が提唱する市場観そのものである。

 市場原理主義や新自由主義を前面に出す政治家は現在の日本にはあまりいないが、多くの国民は主流派経済学が想定する「代表的な個人」とは遠い存在であるにもかかわらず、「自己責任」や「自助努力」という言葉を背負わされている。

「平時は自由競争、緊急時には財政出動」という思考法が浸透する中で、多くの国民は財政支出の恩恵を享受できず、市場での厳しい競争の中で疲弊している。

 主流派の経済学者が好む経済政策は規制緩和である。「構造改革なくして景気回復なし」というキャッチフレーズを掲げた小泉純一郎政権(2001年4月〜06年9月)を筆頭に、政府は規制緩和を推進して供給力を高めようとする政策も継続しているが、決定打にはなっていない。

 日本は低成長期に入り、企業や個人の経済格差が拡大した。個人の自己責任を重視する風潮が強まる中で、個人が置かれている環境の違いは捨象されがちだ。