黒田総裁の誤解
黒田新総裁の放った“バズーカ砲”、彼の言を借りれば「量的・質的金融緩和」は、まさにわれわれの度肝を抜いた。ある有力外資系銀行のレポートでは、あらゆる市場関係者の予想を超えた政策と評していた。
なぜ誰も予想できなかったのか。
それは、黒田総裁の政策が完全に間違っていたからだ。
この緩和政策の質的側面にはほとんど驚きはなかった。驚きのすべては「量」である。緩和策としてあり得るものをすべて、フルスケールで一気に同時に行った。黒田総裁自身も「逐次投入はしない。今考えられるもの、やれるものをすべて打ち出した」と述べている。これは驚いた。なぜなら、明らかに、この考え方が誤りだからだ。あえて誤りの政策を打ち出すとは思ってもみなかった。
黒田総裁は、流れを変えたいと思っていたのかもしれないが、2012年11月16日に、すべては変わったのである。あとは期待を裏切らない程度に普通にしっかりやれば、最大限緩和をすべきという立場からも、十分だったはずだ。
それにもかかわらず、異次元の政策をあえて打ち出してしまったのは、功を焦ったか、金融市場および金融政策に関して誤った認識をしているのかの、いずれかだ。後者だとすると、黒田総裁は何を誤っているのか。
彼は為替介入のプロである。為替介入と金融政策を混同したのではないか。金融政策は為替介入と異なる。為替介入は、流れを変えること、相場を打ち負かすことが重要だが、金融政策は違う。負かす相手などいないのだ。
金融市場に敵はいない。金融政策の目的は、実体経済の経済主体を動かすことだ。そして、実体経済の経済主体は敵ではなく味方であり、しかし間接的にしか関われない仲間なのだ。金融緩和とは、金融機関を通じてマネーを供給するか、あるいは、資産市場に変化をもたらすことにより、その資産を通じて経済主体の実体経済における行動を変化させるしかない。そして、それを媒介する金融機関は、戦友のような親友だ。その親友を混乱させて国債市場から追い出しては、金融政策がうまくいくはずがない。