
元祖!寝台特急「あさかぜ」
テクノロジー詰めた「走るホテル」
最初に紹介するのは、東京~下関・博多を結んだ寝台特急「あさかぜ」だ。1956年に国鉄が開設した戦後初めての寝台特急で、東京を夕方に出発し翌朝に博多駅に到着するため、関西を深夜に通過するという当時としては画期的なダイヤを採用。ビジネスマンに利用しやすい列車として注目を集めた。松本清張の名作ミステリー・「点と線」に登場することでも有名だ。
あさかぜが「走るホテル」としてその名を知らしめたのは、1958年に20系客車を導入したことが大きい。全室に冷暖房や蛍光灯といった当時の最新テクノロジーを詰め込んでいたからだ。名実ともに高度成長期における最上級の移動手段であり、当時としては高額な料金だったが、予約が困難だった。
しかし70年代以降は新幹線や航空機が発達したことで利用者が激減。新型車両の導入でテコ入れを図ったが、時代の波には逆らえなかった。94年には定期での博多乗り入れが臨時化され、2000年にはそれも中止に。下関行きの列車も05年3月1日に廃止された。
なお、東京から広島や下関など山陽本線内は、後継となる285系を利用し「サンライズゆめ」として臨時運転を行うこともあったが、08年を最後にそれもなくなっている。
瀬戸内エリアは訪日外国人(インバウンド)にも人気なので、また運転されることを期待したい。

世界初の寝台「電車」
昼夜を高速で走り抜けた581・583系
続いて、581系・583系を用いた寝台特急を紹介しよう。高度経済成長期に、昼も夜も高速で走れる「電車」として1967年に登場したのが、世界初の寝台電車・581系だ。
翌年には全国の電化区間をどこでも走れる583系も登場。当時の在来線最高速度である時速120kmと、寝台設備を片付ければ昼間も通常の特急列車として運行できる車両が特徴だ。新幹線が未開業だった東北本線や山陽本線においては欠かせない存在だった。
先頭車のデザインは、それまでの特急型電車の標準だったボンネット型ではなく、分割・併合が可能な貫通型で、当時は斬新なデザインも注目を集めた。
代表的な列車名としては、新大阪〜博多間の寝台特急「月光」をはじめ、上野〜青森間の「はつかり」(東北本線の昼行特急)・「はくつる」(東北本線経由の寝台特急)・「ゆうづる」(常磐線経由の寝台特急)、「月光」の折り返しとして運転された新大阪〜大分間の昼行特急「みどり」、京都〜西鹿児島(現:鹿児島中央)間の寝台特急「きりしま」など、挙げればきりがない。
北は青森から南は鹿児島まで、全国各地を昼夜問わず走り抜けたので、車両の老朽化は早かった。個室寝台がなく、普通車がボックスシートでリクライニングできないのは他の特急車両に比べると弱点だ。そのため1987年の国鉄民営化までに、半数以上が廃車または普通列車への改造などで離脱する。
残された車両は国鉄民営化後、分割・併合が可能な車両構造を活かしたスキー列車「シュプール号」などで活躍したが、2017年をもって運用終了となった。