「私は『ザ・ベストテン』では1位を取ったことがないんですよ。絶対に1位を取ってやるぞって意気込んでいたんですけどね。でも、その悔しさあるからこそ今まで歌いつづけてこられた。その分、これからの人生で1等賞を取りたいなって思っています(笑)」(『ザ・ベストテン』「別冊ザテレビジョン」2004年12月20日)

 11番目の「あなたと、熱帯」はMinako With Wild Catsのデビュー・シングルである。すでに歌謡曲ベスト10に入るような曲ではなかった。

「Jポップ」時代開始時点でミュージカルへ

 テレビの歌謡曲時代が終わる89年以降、邦楽ポップスは歌謡曲からJポップと呼ばれる時代になる。音楽理論上の違いがあるわけではないが、自作自演(シンガー・ソングライター)の楽曲が増えていく。

 Jポップ時代の始まりについて調査したほとんど唯一の文献が、鳥賀陽弘道さんの著書『Jポップとは何か』である。

 鳥賀陽さんは、洋楽だけを流していたFM局J-WAVEが邦楽を放送することになり、Jポップと名づけたことを検証し、それが「八八年末か八九年初頭のことだ」と時期まで特定してくれる。Jポップを番組名に付けたのは89年秋だったのだそうだ。

 「いまJポップといえば、そこにはロック風のものも、フォーク風のものもある。すなわち、日本のポピュラー音楽であれば、何でもJポップとくくることができるのである。(略)つまりJポップとは、かつて歌謡曲、ロック、フォークなどと呼ばれたジャンルをすべて解体してシャッフルし、再構成した名称なのである」(鳥賀陽弘道『Jポップとは何か』岩波新書、2005)

 本田美奈子さんのヒット曲は歌謡曲時代終末期にあたった。高杉敬二さんが86年からロック系の歌を増やし、クイーンやジャクソン・ファミリーにプロデュースを依頼し、ロックバンドを組んだのは慧眼だったのである。そのまま行けば自作曲を増やし、ライブを中心におとなのヴォーカリストとして進んだかもしれない。

 Minako With Wild Cats(88-89年)解散直後のソロ・シングル「7th Bird愛に恋」(89年10月)と「SHANGRI-LA」(90年7月)は、歌謡曲の終わり、Jポップ時代初期の曲ということになる。その後は「ミス・サイゴン」のオーディション(90年11月)によって大きく舞台を転換させることになった(94、95年のアルバム2作はJポップの全盛期に出ている)。