肺病ゆえに徴兵検査にも落ち、お国のために役立てない身の上を嘆いているかのような表現である。

 しかし、実際には、肺尖カタルという診断は軽微なもので、診断した万袋医師は睦雄の肺の病は軽いものであると証言している。にもかかわらず、睦雄は自身を重度の肺病であると断じ、徴兵忌避を徴兵検査で迫ったのである。その結果が、丙種合格だった。

 当時の軍では、肺結核や性病については検査が厳しかった。軍隊のような集団生活では、伝染病の保持者は極力排除された。

 もし、当時の睦雄が重度の肺結核であったら丙種合格ではなく、戊種合格と評価されていたはずである。つまり、このときの軍医は「睦雄は重度の肺結核ではない」と判断したのだ。

 しかし、軽症とはいえ肺尖カタルであったため、伝染が広がるのを懸念して、兵役に就けない丙種合格としたのだろう。

徴兵検査不合格の夜に
睦雄は女を買って祝った

 ただ、丙種合格であっても戦局が悪化するなかで、有無を言わさず戦場に徴兵されるようになる。日中戦争の拡大に伴い、津山事件が起きた昭和13年(1938)に、国家総動員法が成立した。

 その後は丙種合格であっても次々と兵隊に取られて、戦場へ送られることとなった。もし、睦雄が事件を1、2年後に起こしていたならば、睦雄は問答無用で兵役に就かなければならなかったはずだ。

 しかし、睦雄は丙種合格で結果的に徴兵を免れた。このことは睦雄のプライドをさらに傷つけることとなったが、一方で喜ぶべきことでもあった。

 この徴兵検査不合格の夜、睦雄は悪友といっしょに津山の遊郭で女(市丸という娼妓)を買っている。

 徴兵検査の夜に遊郭で女を買う慣習がこのころすでに広まっていた。徴兵検査のとき、性病にかかっていては大恥をかくことになる。

 だから、徴兵検査の前には性病にかからないように、遊郭で遊んで遊女を買うことは御法度という慣習が各地にあった。なかには、徴兵検査まで頑なに童貞を守る青年もいたという。