親に褒められようとして
無理をする子どもたち

 いまはそういうことはないと思いますが、昔は女の子が生まれると、周りの人や親が「この子が男の子だったら」というような話をすることがありました。

 自分は女の子に生まれたのに、「この子が男の子だったら」と言われるのです。

 実際にあった話ですが、ある女の子は男の子のように振る舞うと、両親が喜ぶからという理由で、お人形遊びや女の子のする遊びをしないで、木登りや男の子のする遊びをしていました。

 学校も女子大には行かず、男女共学の大学に進み、好きでもないのにいかにも男らしいというイメージで土木工学科に入り、そのまま大学院まで進んでしまいました。

 要するに、男として生きていこうとしたのです。その結果、その女性は結局、大学院に通っている時にノイローゼになってしまいました。

 パーソナリティーは成熟していく環境にあれば、本来一定の段階を経ながら成熟していきます。しかし、問題はそうでない環境に生まれてしまう場合なのです。

 不安な人というのは、パーソナリティーが一定の段階を経ながら成熟したのではなく、どこかの段階で障害が起きて、そこで発達が止まってしまっています。

 親からの自立は普遍の課題です。フロイトは「オイディプス・コンプレックスというのは、人類普遍の課題である」と言っています。

 パーソナリティーが一定の段階を経ながら成熟しない状態というのは、そうした第1段階のオイディプス・コンプレックスや、青年期のアイデンティティーの確立といった課題をまったく解決しないまま、自分でない自分を生きながら、社会的にはどんどん大人になるということです。

立派な大人に見えても
中身は不安を抱えた3歳児

 しかし社会的、肉体的にはどんどん大人になりますが、心理的にはどこかの段階で成熟が止まっています。そのため社会的、肉体的には大人なのに、心理的には3歳、5歳、あるいはもっと幼い、本当に赤ん坊のような人もいます。

 こうした人は、大きな不安を抱えています。

 一定の成長の段階を経ない生き方をしてきたので、本人は基本的不安を抱えています。潜在的に敵意を含んだ世界に直面した時の不安に怯えて生きているのです。