伊勢丹の中国1号店が今年11月に店を閉める。採算が合わないというのが閉店の理由だ。現地紙「第一財経周刊」でも、「5年連続で売上は下降、来客数はどんどん少なくなり、知名度ある入居テナントも撤退、2007年は11年前の売上の70%でしかなくなった」と報道する。1993年に中国で初出店した「上海華亭伊勢丹」の上海15年の歴史を惜しむ声もある一方で、その撤退が送るメッセージを「上海マーケットへの認識の甘さでは」とする厳しい指摘もある。
かつて日本ブランドは
出せば売れた
開襟シャツにスラックスというのが定番だった上海市民が、ファッションに目覚めたのは2000年前後のことだ。前年の99年が「建国50周年」だったこともある。中国政府は大型連休を導入したり、公務員の給料の引き上げを行うなどして消費を喚起した。再開発が進む上海の中心街では、ショッピングセンターなどの消費地が1つまた1つとオープンし、市民は次第に「消費」に目覚めていった。
当時、日本企業は決して波に乗り遅れてはいなかった。むしろ、伊勢丹の早期出店から読み取れるように、先行してその地位を確立していた。90年代にすでにブランドを展開していた日本のアパレル、イトキン、ワールド、オンワード樫山が上海市民の消費意欲を埋めた時代もあった。その頃は地元消費者の日本ブランドへの憧憬と、競合の未成熟もあり、日本ブランドは出せば売れたものだった。
だが、今は違う。時代は過去のものになった。地場のアパレルメーカーが仕掛ける猛烈な廉売攻勢と、マーケティングノウハウで武装した外資の参入で、すっかり日本ブランドはかすんでしまっている。
なぜか。ジェトロや国内の大学でファッションマーチャンダイジングやマーケティングについて講師を行う、IBD事業開発研究所株式会社(本社:東京都)の代表取締役 島田浩司さんはこう指摘する。
「日本では当たり前のマーケティングが、なぜか中国ではできないんです。そこにあるのは、中国のファッションは遅れているという見方。日本と中国ではマーケットが違うという認識が日本企業に欠落しているのです」
確かに、日本企業は金も人も使って調査は行っている。が、どうやらその分析のやり方に問題がある。