揶揄するだけではない「愛の視点」

 SNSでバズる曲の方向性のひとつに、特定の「典型の人々」を題材にいじったものがある。最近だと「お返事まだカナ?おじさん構文」がそうで、これは若い女性にちょっかいをかけるおじさんが題材になった曲である。「おじさん構文」自体は数年前から広く知られているものだが、それがこの度キャッチーな曲の中でジョークを交えたテイストで揶揄された。

 おじさんもアルファード(の所有者であるマイルドヤンキー)も、その現場では無敵を放っているという特徴が共通している。おじさんは社会的に立場が強かったり、アルファードは戦闘的であったりして、その場では逆らい難く、受けるストレスを看過しようと努めつつもやっぱり気に入らないので、そこで溜めたうっぷんをのちほどネットで晴らすわけである。

 しかしバズる曲がただの陰口・悪口に堕していない点も評価すべきポイントで、だからこそバズるのかもしれない。というのは、「お返事まだカナ?おじさん構文」も「残クレアルファード」およびその派生曲も、題材になっている人への愛の視点が含まれているのである。

 下心満載のおじさんに対しては「それだけ愛を貫けるのは立派」とし、残クレアルファードが描くアルファードオーナーの悲哀には心を寄せさせられる普遍性がある。「アルファードオーナーもがんばっているよな、わかるよ、自分もがんばろう」と背中を押される気さえする。そうなるとアルファードはもはや敵対する対象ではなく、苦しい時代を共に生き抜く同志となる。

 これは社会的に浄化の役割を持つ側面もある。疎ましさを内心感じている相手がいたとして、その感情のはけ口がなければ疎ましさは募る一方である。しかしその疎ましさを誰かが代弁してくれたり、誰かとシェアできると風向きは変わって、その疎ましさをちょっと許容できるようになったりするものである。

「残クレアルファード」はアルファードのヤカラっぽさを揶揄すると同時に、アルファードに対しての新たな視点、「アルファードを愛する個」への可能性を提示している。結果、世の中の「アルファードへの愛」の総量が増えればそれは世の中的にいいことである。

 近年は「ただの悪口」が嫌われる局面も散見されるので、ただの悪口に堕さない愛を含んだ方向性は、より多くの人の支持を集める条件であるといえよう。

 ユーモアベースの動画を見ることで溜飲を下げ、愛を学び、さらに自分もがんばろうと思える「残クレアルファード」は、道徳的にも優れたネットミームであった。