うつむいて授業を受ける子どもをひとりでも減らしたい
私は子どもが学歴だけではなく、未来を生き抜いていくチカラも育てたい、という志を立て、学習塾の塾長へ転身しました。
それは、「私が2人の子の母親であること」や、「私自身が中学から高校の間、登校拒否で学習期間を失ったこと」に起因しています。
私は中学生の頃、うつむいて生きていました。
ですから、まっ暗な谷底に落ちたような気分だったのです。
小3~中1まで学習塾で先取り学習をして、学校では優等生を気どっていた私は、精神面のもろさから見事に転落したのです。
「将来は、英語を活かした仕事に就きたい」
私は、教育熱心だった母の勧めで、小3から外国人講師に英語を習っていました。
当時としてはなじみのない習い事に、周囲から「子どものうちから英語を習うなんて」と、ずいぶんめずらしがられたものです。
私が習っていた英語学校の先生は、第一線の現場で活躍された元通訳でした。
先生の英語教室には、いつも異文化の香りが漂っていました。
生まれて初めて見た世界地図は、すべてが外国語表記で、ようやく見つけた日本は思っていたよりもずいぶん小さく感じたものです。
「この世界には、私の知らない国がたくさんある」
そう知っただけで、血が騒ぎました。
英語からほとばしる異文化に、私はどんどん魅了されていったのです。
しかし、私が中1のとき、英語の授業でつまずきました。
先生の発音と私の理想とする発音が違い、英語の先生と衝突したのです。
「おまえ、生意気やぞ」のひと言で、職員室に呼び出され、叱られました。
私はただ、英語学校で出会った外国人講師のような流暢な英語を話したかっただけなのです。子ども心のあこがれでした。
でも、それがうまく伝えきれずに、とても辛い思いをしました。
家庭でも、中小企業を経営する父の会社の業績が悪化していたこともあり、父はいらだち、家庭の雰囲気も重苦しくなり、心身ともに冷えていきました。
その後、約1年、登校拒否をしていました。
登校拒否は、学校に通いだしてからのほうが数倍、心身ともにきついのです。
それまでラクだった授業が、まったくわからなくなりました。
私より成績の悪かった友達が、私をどんどん追い抜いていきます。
「勉強は毎日の積み重ねが大事なんだ」という現実の恐ろしさを痛感しました。
「いったいどうすればいいんだろう?」
うつむいて授業を受けることが、あんなに辛くて苦しいとは思いませんでした。
当時の経済状態では、「塾に行きたい」「家庭教師をつけてほしい」とも言えず、
「私ひとりでなんとかしよう。なんとかしなくっちゃいけない」
と思ったのです。
理解力が戻るにはどうすればいいか、一心不乱に考えました。
その答えは、高校で見つかりました。
第1志望を不合格になり、しぶしぶ入学した第2志望の高校で私は勉強の面白さ、知識を広げるすばらしさを体験し、復活できたのです。
私が指導する子どもたちは、本人や親御さん、周囲も驚くくらいよく伸びます。
それは、私自身が「わからないという気持ち」が手にとるようにわかるからです。
勉強がわからず、自信が持てず、うつむいて授業を受け続ける子の数をひとりでも減らしたいのです。