「教えること」と「学ぶこと」は何が違うのか?

 私は中学生で登校拒否をした体験から、「先生」という存在の大きさを痛感したのです。
 指導者によって成績が上下するだけではなく、学校の出席にも影響するのは、私のメンタルのもろさでもありましたが、優等生もどきの“もやしっ子”だった私には必要な経験だったのかもしれません。

 振り返ると、私の未来予想図は大幅に変わりましたが、こうして多くの子どもたちを伸ばせることができたのは、つまずきを経験させてくれた英語の先生のおかげだと考えるようになりました。

 いまでは、あの英語の先生は、私の中では恩人に変わりました。
 あんなに大きく深かった私の傷あとも、いまは薄れて、ほとんど見当たらなくなったのです。

 私自身、指導者という仕事を選んだとき、「先生」という立場や言葉に溺れないように気をつけようと思いました。
「先生」という立場にあぐらをかかずに、自分自身を磨き続けようと思ったのです。

 ですから、常に「学ぶ」姿勢に意識を向け、「生徒」である立場を大切にしています。
自分が「先生」と「生徒」の立場に意識を向けることで、授業でも塾生に対する一方的なコミュニケーションが減り、授業の質も向上させられると考えるからです。