「わからないからこそ、試してみよう」
新しい時代のリテラシーを身につけるために

 以上に述べたように、これまでとは違う技術が社会に登場し、これまでとは違う使われ方が生まれ、ユニークな人々が登場し、社会関係が再編成される黎明期には、その得体のしれない可能性自体を、懐深く受け止め、じっくりと掘り下げるための、「試行錯誤の場」、「つくりながら学ぶ場」がもっとも大切になる。一番大切なことは、実験精神と、「失敗を許容する」寛容さである。ここでは、「わからないからこそ、試してみよう」という“ティンカリング=いじくること”の精神がその原動力となる

 この状況は私が経験したなかでは1992~93年くらいのインターネットの状況と似ている。その時代、まだネットに関する教科書はほとんどなかった。むしろ、人々が集まってあれこれ実験しながら、教科書をつくっていたのである。まだ確固たる専門家がいるわけでも、確固たる先生がいるわけでもない予測不可能な状況だったからこそ、そこには新しい「学び」の可能性があった。そこで足腰を鍛えた人々が、その後何十年にも渡ってネット文化を支えていくことになるのである。

 同じように、いまデジタルファブリケーション時代を迎えて必要とされているのが、未知の状況に対してどのように私たちが臨んでいいのかを実践的に開拓していく、「アトリエ」である。

 3Dプリンタやレーザーカッターなどのデジタル工作機械の可能性を、つくりながら学び、共有し、そして教科書そのものをつくっていくような場所、それを「ファブラボ」と呼んでいる。そしてそれは大学のなかに閉じたものではなく、むしろ地域に開かれた存在なのである。米国やオランダでは、ファブラボを「21世紀の図書館」と呼ぶことすらある。

 これは単に「地域に一つある施設」の代表として「図書館」を例にあげているだけではない。ここには、「知識のありかた」に関するある種の移行が暗示されている。このことを理解するには、「そもそも「知識」とは何なのか?」という深い問いかけを一人ひとりに対してする必要がある。現在われわれの地域にひとつずつある図書館は、もっぱら「本」という形式で知識を摂取し、「文字」の読み書きを覚える場所であった。知識とはすなわち言語であり文字とされてきた。

 一方、ファブラボは、「もの」を読みながら、「もののしくみ」の読み書きを覚える場所になっていくのである。情報だけに浸るウェブ社会から、物質を扱う「ファブ社会」に移行するにあたって最も重要なのは、「文字」だけではなく「もの」に関するリテラシーであり、このリテラシーを高めていくことが、これからの社会を創造的に生きるのに重要だという共通の理解なのである。

 「ものを読む」とはどういうことなのか。私たちは、自分たちの身のまわりで使っている製品の仕組みや動作原理を本当にわかっているだろうか。得体のしれない工業製品をただ購入し、表層だけ使っているのではないだろうか。もしそれが壊れて故障しても、何も手をくだせないのではないだろうか。あるいは自分が必要とするものを自分でつくるのに必要な最低限の技術さえ失ってしまっているのではないだろうか。

「ものを読む」は、そんな状況からの脱却であり逆転である。身近なものを分解して中の仕組みを調べてみる。仕組みが理解できたら改造してみる。そしてさらには、壊れても自分で修理することで、さらに愛着が高まっていく。そうした喜びを、さらに他者とシェアしてみる。それが、新しい「リテラシー」になるのである。

 そんな文化を約10年にわたって世界中で育ててきたコミュニティ、ファブラボ。その各国の代表者が、8/26に集結する。

 ひとりひとりが自らのこれからの暮らし方、働き方、豊かな生き方について考えるきっかけになるはずである。