しかし、「生きる意味」を問わざるを得なくなった人にとって、このような反応を返されることは拒絶されたように感じられるもので、「こんなことに囚われているような自分は、救いようがないんだ」と、いっそう孤立感を強めてしまうことになるのです。

価値の優先順位が、時代とともに変わってきた

 戦中や戦後の貧しい時代に生まれ育ってきた人々にとっては、「食べられるか否か」つまり「生きられるかどうか」が最も重要な問題であったので、「どう生きるか」に拘泥している余裕はあまりなかったのではないかと想像されます。

 その後、順調に戦後復興がなされ、奇跡的とも言うべき高度成長期が到来します。この時代には、努力次第で経済的・物質的に豊かな生活を手に入れられるようになった「右肩上がり」の時代であったため、人々は立ち止まって「どう生きるか」に悩むよりも、「どれだけ頑張って豊かになるか」を重視する傾向を強めました。

 そして、少なくともバブル崩壊までの日本においては、有名大学や有名企業などへのブランド信仰が熱をおび、「幸せになることとは、名のあるところへ入ることだ」と信じ込む人々が数多く存在していました。今日のように終身雇用制が破綻したり、企業買収や合併などが日常茶飯事になったりすることなど、当時は誰も予想していなかったのです。

 このような流れの中で、多くの人々にとって「生きる意味」を問うことは、せいぜい青年期の一過性の熱病として捉えられるか、たしなむべき哲学・文学・芸術などの主題として扱われるに過ぎず、アクセサリー的な「教養」の域を出ないものだったと言えるかも知れません。ごく一部の内省的な人間を除いては、「どう生きるか」よりも「いかに成功するか」「いかに豊かな生活を手に入れるか」のほうが重要視される時代だったのです。

マズローの欲求段階説と戦後日本の流れ

 アメリカの心理学者マズローは、人間の欲求について「欲求段階説」というものを唱えました。

マズローの欲求段階説

 マズローは、人間の欲求には右の図のようなヒエラルキー(階層)があって、低次の欲求が満たされるに従ってより高次の欲求に段階的に移行していくものだと考えました。そしてマズローは、欲求段階の高次化に人間の成熟を見たのです。

 この説を用いて、先ほどもふれた時代の価値観の変遷について考えてみましょう。