「政府はあらゆる国において最大の雇用主になった。そしてあらゆるところへ進出した。しかし、それは本当に強力になったのか。単に巨大になっただけか。政府は巨大になっただけであり、費用はかかっても、成果はさしてあげていないことを示す証拠は山ほどある。政府に対する信頼は薄れ、幻滅が深まっている。まったくのところ、政府は病にある。それも、強力で健全かつ生気にあふれた政府が必要とされているこのときに、病んでいる」(ドラッカー名著集(7)『断絶の時代』)
ドラッカーは、われわれは、あたかも催眠術をかけられたかのようだったという。政府と国民は、熱い愛情関係にあった。なんであれ、必要なことは、すべて政府に任せれば、すでに事はなされたも同然とされた。
しかし、ようやく今日、われわれの態度も変わりつつある。「たとえ習慣からにせよ、われわれは依然として、社会的な課題を政府に任せている。政府は相も変わらず、失敗したプログラムを手直ししている。その挙句、プログラム自体に悪いところはなく、手続きを変えるか、行政の質を高めれば、事態は改善できるとしている。だが、いかにわれわれであっても、三度目の手直しともなれば、約束を信じることはできない。もはや政府に成果を期待してはいない」。
われわれは、なにもかも政府に頼った。政府が奇跡で、あるいは手品で、無料でサービスをしてくれると思った。費用は誰かが払わなければならない。しかし、それは自分以外の者、少なくとも自分以外のどこかの金持ちだと考えた。
「もちろん、全国民向けのサービスを負担できるだけの金持ちはいない。全員が受益者となるものについては、全員が負担しなければならない。これらのものの費用はすべて税金である」
ごくごくわずかの国を除いて、巨大な金山があったり、油田があったりするわけではない。
「すでに若い人たちの間では政府に対する敬意は失われた。納税者たる大人たちも幻滅を深めた。大人たちはいまでもより多くのサービスを求める。しかし、その彼らが、政府の約束したものを求めはするものの、政府をより大きくするための費用の負担にはしり込みを始めた。政府への幻滅こそ、今日の最も深刻な断絶である」(『断絶の時代』)