JR高田馬場駅の「鉄腕アトム」など、電車通勤のサラリーマンなら毎日耳にするであろう電車の発車メロディ。駅によっては、その土地にゆかりある曲を使用するなどいろいろな工夫が凝らされていて面白いですよね。
今回紹介するのは、そんな発車ベルを101曲集めて楽譜にした『鉄のバイエル』です。実はこの本、2008年の発行以降、現在まで10刷を重ねている隠れたロングセラー。ビジネス書が中心のダイヤモンド社ですが、100年も営業していれば、このような変わり種の本もあるのです。

直接耳でコピーして
楽譜に起こした労作

松澤健著『鉄のバイエル 鉄道発車メロディ楽譜集 JR東日本編』
2008年3月刊行。ピアノの教則本のようなデザイン。思わず手に取ってしまいそうな楽しげなタイトルが印象的です。

 けたたましい駅の発車ベルが電子音の「発車メロディ」に変わったのはいつのことだったでしょう。20年くらい前のような記憶があります。駅によって旋律は変わりますが、同じ旋律を聞くこともあります。聞いたことのあるメロディもあれば、知らない曲もありますね。歳月が流れ、だんだん慣れてきて、最近は聞くとはなしに耳に入ってきます。

 朝のラッシュアワーでは、相変わらずけたたましいアナウンスで音楽はほとんど耳に入りませんが、日中や休日の駅では、思わず耳を澄ませることもあります。

 本書は、このような駅の発車メロディを収集し、なんと101曲も楽譜に起こした労作です。

 じつは、東京の大きな駅でよく耳にするメロディを聞いていると、主和音で終止しないので、「あれ?」と思うことがあります。場所によっては鮮明に聞こえず、「ありゃ、音を間違えているのかな?」などと邪推していたのですが、本書の楽譜を見て納得しました。

 主和音ではなく、属七もあればいろいろなのですね。間違えている、と錯覚したメロディの最後の和音は、ハ長調の属七(Cmaj7)でした。ド・ミ・ソにシが入っています。これが濁って聞こえたのでしょう。

 著者の松澤健さんは、あちこちの駅で聞き、耳でコピーしてピアノ譜に起こしています。けっこう複雑な和音のオリジナル曲が多く、採譜に苦労されたと思いましたが、「あとがき」でこう書いています。

 私は昔から気に入った曲があれば、耳で聞いてはコピーして遊んできました。そのような事が出来るようになったのも自主的に、そして遊び心を持って鍵盤に向き合っていたからだと思います。そういった意味で、自分にとって鍵盤はいわばおもちゃのような一面も持ち合わせているのです。(119ページ)

 つまり、楽しみながら採譜したわけです。それにしても素晴らしい耳です。松澤さんは横浜国立大学大学院を修了した楽器メーカーの技術者だそうですが、ピアノの腕も上級なのですね。