日本のポップス(流行歌、歌謡曲)の歴史は「カチューシャの唄」(島村抱月、相馬御風作詞、中山晋平作曲、松井須磨子歌唱、1914)に始まり、関東大震災と童謡の時代を挟み、「船頭小唄」(野口雨情作詞、中山晋平作曲、1923)を経て「東京行進曲」(西條八十作詞、中山晋平作曲、佐藤千夜子歌唱、1929)の大ヒットにいたる。蓄音器とSPレコードというイノベーションが日本の再生音楽市場を切り開いたのである。

再生装置の革新で見る100年史

 3曲ともに中山晋平の作品だった。ヨナ抜き長音階だけで日本のポップス市場を創出した作曲家である。

 1930年代にはレコードによるヒット曲が次々に誕生し、ラジオ放送に乗って全国に広がっていく。国産の蓄音器が発売されてから20年後のことである。音響機器や放送の技術革新が音楽産業の様相を一変させることは、このあとも100年間続くことになる。

 今回は100年間の音楽史と技術史を俯瞰しておくことにする。表をご覧いただきたい。この100年のイノベーションを簡単にまとめたものだ。

 

1910-40年代 蓄音器で音楽が家庭に

 大正時代から昭和戦前。円盤型レコードをターンテーブルに乗せ、ゼンマイ式の駆動で1分間に78回転で回して針で物理的な振動を伝え、ラッパ型の増幅装置で聴く機械、すなわち蓄音器が日本でも製造され、普及を始める。国産第1号機の登場が1910年である。20年代にはラジオ放送が開始され、音楽も流される。一方、サウンドトラックを付加した映画フィルムと再生装置が開発され、映画に音声が乗るようになり(トーキー)、映画とタイアップしたヒット曲も生まれる。音楽を聴く場は数百年にわたって劇場や演奏会場だけだったが、蓄音器の登場は家庭で音楽を楽しむ手段を提供した。革命的なイノベーションである。

1950-60年代 テレビとステレオの時代

 第2次大戦後はテレビ放送の開始、ステレオLPの登場で始まる。60年代にはテレビが急速に普及し、家庭にテレビが入り込む。テレビは洗濯機、冷蔵庫、エアコン、自動車と続く耐久消費財の主要品目として戦後高度成長のエンジンにもなった。ステレオLPとオーディオ機器は富裕層の応接間に鎮座し、主に男性のホビーとして増加する。録音技術も向上し、さまざまな音楽が高品質なアナログ音声として家庭に入り、多様なエンタテインメントを生む。しかし、依然としてステレオでLPを聴く習慣は家庭の中に留まる。

1970年代 ウォークマンの登場

 ソニーが「ウォークマン」を発売する。小型ステレオ・カセット・プレーヤーにより、高品質なサウンドが家庭や店を出て、野外でも聴けるようになった。イヤホン型のヘッドホンによって歩きながらでも音楽を聴くスタイルは、ソニーが70年代末に創出したもので、現在のリスナーの視聴スタイルを決定づけたイノベーションである。