特に「国家安全保障戦略」が謳う「積極的平和主義」を全うしようとすれば、このことの重要性は増す。東西対立の消滅によって、国連を中心とする集団安全保障の可能性が高まったからである。

 代表的な事例がPKOだ。1990年代以降、国連を中心とする国際的な平和活動の頻度は増し、その態様も紛争が終結した後に間に割って入り、停戦状態を維持するといった伝統的なPKOにとどまらず、いわゆる平和創造に近い活動にまで拡大してきた。日本は1992年に初めての自衛隊PKO部隊をカンボジアに派遣して以来、国際平和協力活動に積極的に参加してきた。自衛隊は、カンボジアでは中国軍工兵部隊と、東チモールPKO(2002~04年)では韓国軍歩兵部隊と肩をならべて活動した。

 冒頭に引用した「安保法制懇報告書」は、このような活動に参加する上での法的基盤の問題をいくつか指摘し、是正を求めている。そのひとつがいわゆる「駆けつけ警護」ができないという問題である。

 報告書は、国際平和活動に参加している自衛隊の部隊が、同じ任務に従事している他国の部隊や隊員が攻撃を受けている場合に、現場に駆け付け、要すれば武器を使用して救援することを認めるべきであるとしている。

自衛隊は多国籍軍を見捨てるのか?
新たな歴史問題をつくり出す可能性も

 実際、中国軍は、自衛隊とともに活動したカンボジアPKOで宿営地が砲撃され二人の殉職者を出している。自衛隊が比較的治安状態のよい南部を担当したのに対して中国軍はポルポト派の勢力が残る北部を担当したという事情が背景にあったといわれている。

 現在自衛隊が派遣されている南スーダンにおいても、インド兵PKO要員が犠牲になるなどの損害が出ている。PKOはあくまで平和を維持することを目的としているとはいえ、安全な任務ではない。自衛隊の派遣部隊が他国軍隊に救援を求める場合だけでなく、他部隊から救援を求められるケースを想定すべきである。

 避けなければならないのは、そのような場合に他国からの派遣部隊を見捨てるということだ。仮に救援できなかった相手が中国や韓国などの近隣諸国であれば、新たな歴史問題をつくるという罪を犯すことになるからである。

 第二次世界大戦において日本と同様の立場にあったドイツは、ある意味で日本の対極といえるアプローチをとった。

 ドイツ(旧西ドイツ)は、大戦における敵国であった米英仏を中心とするNATOに加盟することを想定し、連邦基本法においてドイツが相互安全保障のための国際機構に加入できることを謳った。また、その際に国際機構に供出される新生ドイツ軍に対する自国の指揮権が制限されることを勘案して、ドイツとしての主権が制限される場合があることを明記した。

 NATOという国際機構のなかにある複数の国家による決定、すなわち集団的な意思決定に従うことによって、独善に陥るのを避ける方策であったとみることができる。日本が自国の防衛つまり個別的自衛権に限定することによって自制したのに対して、ドイツは国際的な枠組みの中に自国を封じ込めることによって自制したといえる。