旅の記憶が刻まれた
おみやげの数々
森本哲郎さんは50歳で新聞社をやめ、フリーになります。1976年のことでした。別の本でこう書いています。
文章には二種類ある、とぼくは思う。いや、二種類しかない、というほうがいいかもしれない。それは「私」のいる文書と、「私」のいない文章である。
『「私」のいる文章』ダイヤモンド社、1979
「私」のいない文章は客観的な報道記事のことです。森本さんは二十数年間、新聞記者として文章から「私」を取り払う努力を重ねてきたわけですが、50歳を機に、「私」のいる文章を書いて行こうと決めて退社したというわけです。
ダイヤモンド社からは、朝日新聞社在職中から多くの著作を発表しています。代表作は、
『生きがいへの旅』(1970)
『ゆたかさへの旅』(1972)
『ぼくの旅の手帖 または、珈琲のある風景』(1973)
『ことばへの旅』(第1集から第5集、1973-78)
『あしたへの旅』(1975)
『すばらしき旅』(1976)
『旅と人生の手帖』(1976)
『四季の旅 花のある風景』(1978)
『「私」のいる文章』(1979)
『そして、自分への旅』(1980)
といったところでしょうか。いずれもその後、何度も文庫化されています。図書館でも古書店でも目に触れる機会は多いことでしょう。
こうして森本さんは70年代後半から2010年代まで、「私」のいる文章を書き続けてきました。同じ「私」のいる文章でも、内容によって第一人称の表記は変わります。旅をモチーフとする文章は「ぼく」と書きますが、少し対象を限定した作品ですと「私」になります。
おそらく最後の著作はNTT出版の『老いを生き抜く』でしょう。一昨年の9月に出版されました。第1部の「人生百年時代を生きる」はこの本のための書き下ろしで、「私」と表記されています。冒頭の一部を少しご紹介します。
私は二十歳のとき、三十歳になる自分を考えなかった。三十歳になったとき、四十歳になるであろう自分を考えなかった。そして、四十歳に達したときには、やがて五十歳になる自分を少しばかり考えた。が、すぐに忘れてしまった。まだ十年もある、と思っていたからだ。四十歳の人間にとって、十年とは長い歳月である。だから、じっくり考えるにはまだまだ時間がたっぷりある、と軽率にもそうタカをくくってやりすごしてしまったのである。(略)(還暦も)難なく通過して、以後は、もう先の十年を当てにしないようになった。こうして、七十歳もまたたく間にやってきた。この先の十年、八十歳の自分なんて、もう考えようともしなかった。(略)そして、とうとう八十歳を超えた。いまさらのように「老い」の実感が心に迫った。それからさらに一年、また一年……。いまや八十六歳である。なんと長くて、同時に短い年月を重ねたものか!『老いを生き抜く』NTT出版、2012年
人生のカレンダーを思い浮かべつつ、読者が自身の年齢を重ねて読むとじつに味わい深い一節だと思います。
旅の「おみやげ」にもどりましょう。森本さんは本書『ぼくのおみやげ図鑑』の最後にこう書いています。
ほかの人にはガラクタとしか見えないかもしれないが、旅する当人にとっては、まさしく、“一期一会”である。そこにかけがえのない記憶を刻みつけることもできる。べつに収集するつもりはないのだが、結果として、わが人生の“博物館”のようになった。『ぼくのおみやげ図鑑』167ページ
人生の博物館か。筆者も、いや、「ぼく」も部屋に少し並べてみようかな。
(次回更新は2月20日です)
◇今回の書籍 43/100冊目
『ぼくのおみやげ図鑑――森本哲郎 旅のエッセイ』
『CAR AND DRAIVER』好評企画がついに単行本化! 学芸部員として世界中を旅した著者が道中で見つけてきた珍しい土産物の数々と、土産物の背景にある文明・歴史についての充実した解説。外国の文化、歴史に興味のある人に是非勧めたい一冊。
森本哲郎:著
発行所:シティ出版
発売元:ダイヤモンド社
定価(税込)1,995円
→ご購入はこちら!