原発は「ベース電源となり得る
可能性を検討する」がせいぜい

 以上の観点を含め、原子力政策については改めるべきところは改め、国民の理解を得るための真摯な政策姿勢を表明するべきである。

 安全神話、コスト神話を払拭するための策を講じた上で必要になるのは、安全対策の有効性を、実を持って示すことである。規制委員会による安全対策が事故前とは次元の違う厳格なものであるなら、安全性の確保が難しい原子力発電所が出てくるのが自然である。そうであれば、政府が先行して進めるべきなのは安全性の確保が難しい原子力発電の停止である。

 再稼働より停止を優先するのは、政治、行政、電力業界などで大きな軋轢を生むだろう。しかし、そうした軋轢を関係者が乗り越えて見せることが国民の信頼につながる。

 こうした一連の対策が実ったとしても、原子力発電がベース電源と呼ぶに相応しい信頼を回復するには相当な時間を要するだろう。その意味で、今般のエネルギー基本計画において許されるのは、「ベース電源となり得る可能性を検討する」、という位置づけがせいぜいではないか。

 福島第一原子力発電所の周辺地域に足を運ぶと、原子力発電所の事故がもたらした、癒えることのない被災地の傷に出合う。それは、技術に驕り、コストに妄想し、原子力発電の暴走を防げなかったことの証でもある。

 原子力発電について何よりも必要なのは、原子力の膨大なエネルギーを技術、政策双方からいかに制御するかに尽きる。原子力発電の再出発は、そのために必要な謙虚さをいかに取り戻すことができるかを、真摯に問い直すことからしか始まらない。