また、慶應義塾大学環境情報学部の小論文の問題もなかなかの力作。キャンパスの25周年を記念して、「地球と人間」という本が出版されることとなり、受験生はその編集者という設定で、収録文章を選んだり、本のタイトルをつけたり、「はじめに」という巻頭このことばを1000字で書かせたり、まさしく情報編集力を問う問題です。

(詳しくは、http://nyushi.yomiuri.co.jp で各大学の問題を見比べてください。)

 論述形式で問われるのは受験生の総合的な知の運用能力です。

 では、なぜ論述が大事なのか? それは、二つと同じ回答がないからです。すべての答案がみな違う。現実の課題というのはそういうもの。正解を再現することよりも、正解が一つではない問題に対して取り組む力こそ、今の時代には大事なのです。

 受験で得た知識だけではなく、まさに書を読み、友や師と語らう積み重ねが無ければ発想できないでしょう。そういう意味で、すべての大学入試が知識偏重型ではないのです。

早稲田大学は知識偏重入試の象徴
知識詰め込み勉強はまさに苦行

 では、一部の新聞がおそらく害悪だと批判している知識偏重、詰め込み主義の入試の弊害は存在しないのでしょうか? それは違って、マスコミの指摘するとおりです。特に、私立大学の文系入試に数多く見受けられます。東京大学の入試の世界史を取り上げたのは、それが私立文系のそれと、ひどく対照的だからです。

 私立大学の文系入試の頂点といえば、早稲田大学。その「世界史」の問題は私が受験生だった時代から現在も変わらずに難問・奇問で名をはせています。

 大半がマークシート方式か、一部に記述式はあっても回答が紋切型のもの。昨年の政治経済学部の問題では、中ソ紛争の舞台となったダマンスキー島の中国名を書かせたと思えば、今年の法学部は、中国・前漢王朝の匈奴征討時に「汗血馬」を獲得した国の名前を「①フェルガナ②クチャ③カシュガル④ホータン」の4択で問うといった具合です(ちなみに正解は①)。

 一応、受験対策としては山川出版社の「世界史用語集」をそらんじる(!)という科挙のような手法があるのですが、早稲田大学を受験した経験のある読者なら、用語集に出ている頻度を、ポイントにしたことを覚えているでしょう。

 頻度とはその用語がどれくらいの教科書に再録されているかの目安で、早稲田大学に合格する世界史選択者は、「頻度1」という超マイナーな用語まで頭に叩き込んでいます。