皇太子殿下も学んだオックスフォード大学

 私は、オックスフォード大学の社会科学系統の学部であるサィード・ビジネス・スクールと、カレッジであるマートンカレッジの2つに所属していました。

マートンカレッジの庭園の机。トールキンが『指輪物語』を執筆したと言われている。

 マートンカレッジは、1264年9月14日に、イングランド大法官とロチェスター司教を務めたウォルター・ド・マートンにより設立された、オックスフォード大学で最古のカレッジです。

 遠い昔から存在しているため、オックスフォード大学を構成する38のカレッジと6つのプライベートホールの中でも、トップ5に入るほど資金的に恵まれています。また、とくに学部生は、過去10年間で卒業生のカレッジ成績ランキングで1位を6回も取っている、真面目な生徒が集まっています(残念ながら、大学院生が勤勉かどうかはわかりません)。

 日本では、皇太子殿下が2年半ほど留学されたことで有名ではないでしょうか。殿下のマートンカレッジ滞在中の生活に関しては、『The Thames and I: A Memoir of Two Years at Oxford』という御著書に、貴重な記録を残されています(英語版は電子化されています。日本語版はもう販売されていないはずですが、『テムズとともに ——英国の二年間』[*1]を図書館等でお探しください)。

 本当はビジネススクールの話もしたいところですが、今回はカレッジの話だけをしたいと思います。それは、このカレッジで知り合った友人たちから受けた刺激が、自分の捉える学問の姿に、とくに大きな影響を与えたからです。

考古学者、哲学者、気象学者…分野を超えた議論の場所

 カレッジには、さまざまな専攻分野の学生が詰め込まれています。すると、隣に座っている人が、自分が預かり知らない領域の専門家であるということになります。

 彼らは、本当によく知っています。ときたま“変人”もいますが、オックスフォード大学に来るぐらいですから、とても優秀で、自分の意見を持っています。

カレッジ内裏手にある庭園にそった小道。左は旧市街の南端の壁。

 私は、異なる分野の専門家が集う機会を数多く用意してくれる、カレッジでの昼食、その後のコーヒー、芝生で寝っ転がる時間など、カレッジでの多様な時間を心から愛していました。

 あるときには、ローマ時代の建築様式を研究していた考古学者と、「じゃあ、こんな感じの建物を建てるためにはどのくらいの人間とコストが必要で、どういうふうにマメジメントされていたのだろう」と、議論を重ねることができます。

 またあるときには、シルクロードの起源を追っていた考古学者に、「もしかしたら、当時の陶器の製造技術の伝播のプロセスと、ソーシャルネットワーク上での情報の伝播の構造が似ているかもしれない」、というような議論をすることができました。

 それ以外にも、哲学者に「andとbutの違い」や「時間とは何かを巡る論争」を教えてもらったり、レーザー技術者に「核融合制御技術のキモ」を教えてもらったり、気象学者に「天気予報はどこまで正確にできるのか」を尋ねたり、最先端にいる彼らだけあって、とてもエキサイティングな時間でした。

 アメリカ国防総省やOECD、世界銀行や南米の政府など、様々な機関から多種多様な学問領域を学びに来た友人たちとの会話は、伝統的な経営学の世界に閉じないより根源的な意味を考える機会だったと思います。

 こうした時間は、伝統的な経営学に閉じない、より深い本質を探る姿勢につながります。それは、私の場合、多国籍企業が未来の世界で果たす役割とは何かを考えることであり、拙著のタイトルにある「領域を超える」という言葉の原点につながっているとも言えるでしょう。

 *1 Crown Prince Naruhito. 2006. The Thames and I : a memoir of two years at Oxford. Folkestone, Kent: Global Oriental.(『テムズとともに——英国の二年間』学習院総務部広報課、1993年)