国境を越えた付き合いに“完璧”な関係などない

 オックスフォード大学に入学した最初の1年間は、カレッジの中の部屋に住んでいました。それはそれで趣むきのある場所でしたが、2年目になると部屋選択の優先順位が新入生よりも低くなるため、あまり良くない部屋に回らないといけません。

 そこで、2年目からは、同じカレッジの友人たちとグループを組んで、カレッジが所有する家を借りることにしました。3年目、4年目も、同じメンバーで、今度はオーストラリア人が所有する民家を借りて住んでいます。結果的に、ほとんど同じメンバーで4年間も一緒に暮らしたことになりました。

ハウスメイトほぼ全員が参加したサルデーニャ島とコルシカ島のセーリング。著者が船長となり、43ftのヨット(写真中央)で1週間の航海生活を送る。
拡大画像表示

 出たり入ったりと時期は多少ぶれますが、全員がマートンカレッジ出身で、私の大切な友人です。イギリス人の哲学者のパトリック、イギリス人の政治の専門家スザンナ、イギリスとドイツのハーフの哲学者のエマニュエル、ベトナムとドイツのハーフの医者マイ、ドイツ人の化学者マーク、そして、中国人の考古学者イィー。彼らと過ごした時間は、オックスフォードを彩る大切な時間です。

 異文化を学ぶとき、ともに暮らすということ以上に理解が深まることはないかと思います。彼らの友人が訪れてきたり、彼らと出かけたり、ときには議論をしたり、まさに家族ぐるみの付き合いのなかから、お互いの違いを認識することができます。そして同時に、お互いの類似性を認識し合い、より強いつながりを持てると思うのです。

 私には、中国人にも、韓国人にも、心からの友人と言える人がたくさんいます。彼らとの真剣な議論には、もちろん溝の埋まりきらないこともありました。しかし、そうして対話を重ねたからこそ、私は彼らと良き友人であり、尊重し合う関係性ができています。

 そうした経験をしてきたからこそ、私には、現状のように日中韓が対立しあうのはとても悲しい事態だと思います。対立を煽る人たちの大半には、相手国に本当の友人と呼べるような人がいるとは思えません。

 こうした環境の中で、心に残っているだけでも、アフガニスタンからの留学生や、カシミール地方からの留学生、アフリカ諸国からの留学生とハウスディナーをともにしました。東欧や、南米からの留学生もが一緒になり、異なる見方が混在する環境が日常生活の身近なところに常にあったのです。

 アメリカより、もしかしたらイギリスの大学院のほうが、国籍の多様性は高いのかもしれません。いずれにせよ、「個性が溢れる」の個性のレベルが極めて高い環境下で、長く濃密な時間を過ごせたことは、より広がりを持った世界の認識につながったのかと思います。

 “完璧”な関係などありません。国際化が進み、国家と国家がつながりあうからこそ、1人ひとりの個人が相互に理解し、わかり合うことの重要性を、私はハウスメイトたちとの生活でも感じ取ったのだと思います。