先週、本コラムの執筆を終えた直後、永田町ではちょっとした騒動が起きていた。
騒動の震源は、翌日(10月10日)に発売された『文藝春秋』、そこに寄せられた麻生首相の「強い日本を! 私の国家再建計画」という手記であった。
現職の総理大臣が月刊誌で論文発表を行うのは珍しい。
最近では、安倍首相が同じ『文藝春秋』に手記を寄せたが、それは首相辞任後であったし、小泉首相も同様に『文藝春秋』に登場したが、歴史について、作家の池宮彰一郎氏と対談するというものであった。
ところが麻生首相の論文は違った。首相就任直後の微妙な時期に発表されたうえに、さらに驚くべきことに、その中で「解散日」を特定するような記述があったのだ。
案の定、その真意をめぐって各メディアは過剰に反応し、大々的な報道が行われる結果となった。
〈国会の冒頭、堂々と私とわが自民党の政策を小沢代表にぶつけ、その賛否をただしたうえで国民に信を問おうと思う〉
普通に読めば、これは国会の冒頭解散を示している。つまり、麻生首相は、それまでの一連の発言に反して、じつは早期の解散を考えていたということになる。
だが、この部分の影響は大きかった。解散日を明言しなかったからこそ、麻生首相は「解散をしない」強いリーダーでいられたわけだが、この論文を発表した瞬間に、「解散をできない」弱い指導者という評価に180度変わったからだ。
首相が、解散宣言をひとつの雑誌で行なったのは、おそらく憲政史上初めてのことだろう。国民の代表である480人の衆議院議員のクビがかかっている解散権を、国会ではなく、『文藝春秋』誌上で発表する、それは明らかに国会軽視である。
政治歴も長く、幹事長も経験し、派閥の領袖でもあった麻生首相が、果たして本当にそんな愚かな判断を下したのだろうか。筆者は、どうしても信じがたい。