為末大氏は前編で「メダルは、お金で買えるのか?」という問題提起をした。もしも、メダルがお金で買えるとするならば、あなたはそれを買うだろうか?これが中編のテーマである。
唐突に感じられるかもしれないが、このテーマは今、グローバル経済の中で私たちに突きつけられている問題にとてもよく似ている。「お金で買えるもの」と「買えないもの」を明確に区別し、買えるものは迷わず買うというドライな選択ができるかどうか、が試されているのだ。
メダルはある意味、お金で買える。ビジネスもこれと同じで、世界で勝とうと思うならば、巨大な資金力のある企業が圧倒的に有利である。だが、当然のことながら、すべてをお金で買うことはできない。経済合理性のみの価値観で動く企業や組織を社会がどこまで許容できるのか、という問題も同時に考える必要がある。
以上のような問題を考えながら、為末氏と水越氏の対談「中編」を読んでいただきたい。
(構成 曲沼美恵/撮影 宇佐見利昭)
なぜ「合理」と「非合理」の
壁をうちやぶれないのか?
水越 為末さんが前編の最後におっしゃった「メダルはお金で買えるのか?」という問題について、もう少し詳しくお話を伺いたいのですが。
為末 わかりやすいように、1つ、実際にあった例を挙げましょう。ロンドンオリンピックの時、陸上チームが最初まず、ある一定数の候補者に対して強化費や支援金を投下しました。これが、オリンピックの4年前です。3年前にはその人数をある程度にまで絞った。さらに次の年に、そして最終的にはかなり限定された数に絞っていきました。
同時に、何歳までに活躍していなかった選手がその後に活躍する確率はどれくらいかというデータも出して、それでも選手を絞り込んでいった。そこまで科学的かつドライにやれば、メダル数はある程度獲得できます。しかし、「選ばれなかった選手がかわいそうじゃないか」「それではあまりに不平等だ」という声が大きくなると、どんなに効率的な方法で選抜・育成しても社会がそれを許容できるのか、という別の問題が出てきてしまうような気がするんです。