写真 加藤昌人 |
美大専門の予備校に、女の子が夢中だったファッション誌「オリーブ」をくるりと丸めてリュックサックにさしているヤツがいた。理屈抜きにカッコよかった。当時、雑誌はトレンドを仕掛ける側にあった。受験を止め、編集デザインの道を探った。
マガジンハウスは出版社を代表する仕掛人だった。「ポパイ」のアートディレクターにアポイントを取り、ただ働きで構わないと迫った。小さな机をあてがわれたが、誰もなにも教えてくれない。白い文字なら白抜きと書いて指定すればよいことも知らず、いちいち鉛筆で黒く塗りつぶし、消しゴムで消した。ディレクターが引き揚げた後、彼の仕事をなぞって覚えた。2回同じミスをしたら、クビ。その息が詰まる緊張感に耐え切れず、トイレにこもったこともある。
編集デザイナー集団のキャップでは、「マリ・クレール」で写真の見せ方の楽しさを知った。だが、撮影現場に立ち会うこだわりようが、コストを意識する上司とすれ違った。情報誌編集部に異動させられるが、そのスピンアウトが独立のきっかけとなる。立ち上げから1年間は、1日2~3時間の睡眠だった。一人で2000万円を稼いだ。
女性誌から専門誌まで、いまや引く手数多の売れっ子だ。「才能はないほうだと思う。あると勘違いしたら疑問を抱かず、分析と努力をしなくなる。形ではなく、気持ちをデザインする仕事。いい仕上がりが見える瞬間がある。なんでもやってきたから、そういう体になった」。
(『週刊ダイヤモンド』副編集長 遠藤典子)
野口孝仁(Takahito Noguchi)●エディトリアルデザイナー。1969年生まれ。マガジンハウスで「ポパイ」、デザイン会社キャップで「マリ・クレール」、フリーで「エル・ジャポン」を手がけた。99年、ダイナマイト・ブラザーズ・シンジケートを設立。現在「フラウ」「東京カレンダー」「美術手帖」などのアートディレクターを務める。