フリードリッヒ・フォン・ハイエクの貨幣発行自由化論の背後にあるのは、国による貨幣発行権独占が、経済の変動を拡大し、また財政の膨張を可能にしているという認識である。
これらの点は、2007年以降の現実世界において、はっきりした形で表れてきた。これは、現在の通貨制度が基本的な問題を抱えることを意味するものだ。ハイエクの貨幣自由化提案は、これまであまり顧みられることはなかったのだが、金融危機後、その重要性が増していると言える。
以下では、07年以降の状況を振り返り、そこで生じた問題を指摘することとしよう。
金融危機における
「最後の貸し手」としての中央銀行
2007年8月、フランスの大手銀行BNPパリバ銀行のファンドが解約を凍結すると発表したことによって、アメリカの金融危機が表面化した。ニール・アーウィン(関 美和訳)『マネーの支配者:経済危機に立ち向かう中央銀行総裁たちの闘い』(早川書房、2014年3月)は、これ以降の中央銀行の対応を詳細に描いている。
銀行が市場から資金を引き揚げ、資金供給が消えた。極端な流動性危機が生じた。金融活動が全面的にストップしかねない状態になった。このとき、ECB(欧州中央銀行)が流動性供給措置をとった。その後、各国中央銀行が協調行動をとった。これは、中央銀行が「最後の貸し手」として行動するという伝統的な筋書きに従ったものだ。
ただし、つぎの諸点に注意が必要だ。
(1)問題を起こしたのは、ベアスターンズやリーマンブラザーズだが、これらは投資銀行だった。これらは、FRB(アメリカ連邦準備制度理事会)が「最後の貸し手」として貸し付けられる対象外にある。しかし、このときFRBは特殊な方法を考案して、ベアスターンズを救った。しかし、同じ方法はリーマンには使えなかった。その買い手を探したのだが、見つからなかった。このためリーマンの破たんは食い止められなかったのだ。
(2)リーマンブラザーズ破たんによって、焦点はAIGに移った。これに対して、FRBは原理的には対応しうる。しかし、このときに最終的に危機を食い止めたのは、7000億ドルを金融機関につぎ込む「不良債権救済プログラム」(TARP)だ。これはアメリカ連邦政府による財政政策だ。この結果、アメリカの財政赤字は史上最大規模に拡大した。つまり、中央銀行だけでは食い止められなかったのである。
(3)このとき必要とされたのはドルだった。だから、各国の中央銀行単独では対処できなかった。FRBがスワップで供給した。