だから、「妻・子どもから疎まれ、仕事も大変」ということに注目し、それを「不倫する」ことの原因として捉えることで、批判の矛先を自分以外のものに向けようとしているのです。
悪いのは自分ではなく、家族や仕事であると。
気持ちを抑えようとしているけれど抑えきれそうにないと言って、まるで他人事のように語っていることも、実は、不倫への批判をかわすという「目的」があってのことでしょう。
不可抗力であると「感情(激情)」のせいにして、理性的な「普段の自分」を守ろうというわけです。
あなたにできることは、不倫の是非に関係なく、あなた自身が最善だと思う道を進むことだけです。その結果起きることについても、あなた自身で引き受けるしかありません。
すべてを「人のせい」にすることはできないのです。
アドラー心理学では、本来はなんの因果関係もないところに、あたかも重大な因果関係があるかのように自らを説明し、納得させてしまうことを、「見かけの因果律」と呼んでいます。たとえば、カウンセリングの場では「自分がなかなか結婚できないのは、子ども時代に両親が離婚したせいです」などとおっしゃる方がしばしばいます。たしかに、フロイト的な「原因論」から考えるなら、両親の離婚は大きなトラウマであり、自分の結婚観とたしかな因果関係を結んでいるのでしょう。しかしアドラーはこうした議論を「見かけの因果律」だと退け、「目的論」の立場に立って、今の自分がそう考えることの裏にある「目的」に注目するよう、説いているのです。