最近、欧米の政策当局のスタンスを見ていると、1990年代後半以降、わが国で起きたことを髣髴とさせるものがある。90年代初頭に“資産バブル”が崩壊した日本では、その後始末の「バランスシート調整」による景気低迷が続き、株式市場は軟調な展開を続けた。

 株価の下落に歯止めをかけるため、当時の政策当局は株式の「空売り規制」を強化したり、年金運用の資金などで株式を買い支える、いわゆるPKO(プライス・キーピング・オペレーション)を実施した。

 つまり、“規制強化”によって、その場しのぎの弥縫策に奔走したのである。それが結果的に、わが国が本格的な景気回復にたどり着くまでに足掛け13年の歳月を要することになった、大きな要因の1つとなった。

 “規制強化”は、基本的に自由な売買に制限をかけることで、マーケットが本来持っている価格機能を歪めることである。それによって、好ましい価格水準を、無理やり作り出すのである。

 もともと金融市場は、“売りたいという人”と、“買いたいという人”が自由に売買を行うことで適正な価格が決定され、その適正価格によって経済活動が円滑に機能する場所だ。価格形成に強い規制を加えることは“一時凌ぎ”をするにはよいが、中長期的には、どこかで、市場を歪める“ツケ”を払う可能性が高い。

 そのため、「今回、米国政府が“規制強化”によって金融や商品の市場を歪めることは、いずれ高い代償を払うことにつながる」と見ている市場関係者は多い。

バブル崩壊後の日本と同じ轍?
金融市場の規制強化に走る米国

 1997年11月、日本のバブルの後始末は佳境を迎えた。このとき、三洋証券、山一證券、北海道拓殖銀行が破綻に追い込まれた。それによって「金融システム不安」が発生し、翌年に入ると、日本債券信用銀行(現在のあおぞら銀行)や日本長期信用銀行(現在の新生銀行)が相次いで経営に行き詰ることになる。当時の日本は、株式や不動産価格の下落に伴うバランスシート調整の最終局面に差しかかろうとしていた。

 こういった事態の背景には、不良債権処理を先送りした大手銀行のスタンスに加えて、当時の政策当局の「読みの甘さ」があった。それまで、金融監督官庁である大蔵省(現財務省)の“力”は圧倒的で、大蔵省の“鶴の一声”で、ほとんど全てのことが片付くと信じられていた。

 少なくとも政策当局は、「不良債権処理も、株価下落も、大蔵省のさじ加減でいかようにもなる」と考えていたのだろう。そうした認識に従えば、“規制強化”によって、株価下落に歯止めをかけることが十分可能だった。