たとえば、「今日は飲みに行くぞ!」と言われたら、よほどの用事がない限り、ふたつ返事で「はい、わかりました!」と言う関係でなければ、都合の良い部下として見てもらえません。

「仕事外の時間は、自由に使わせてください」という雰囲気を漂わせたら、どれだけ仕事ができても”不便な部下”と受け取られてしまうのは、ある面、しかたのないことです。なぜならば、人と人との付き合いの根底にあるのは、「理」ではなく「情」だからです。

 ちなみに、ワーク・ライフ・バランスがどのように間違った使われ方をしているのかを示すわかりやすい例があります。”不便な存在”にならないためには、この部分を理解する必要があるのでご紹介しましょう。

 拙著『就活の壁』(宝島社)の取材のため、就活中の学生を調査した時に、私は驚くべき事実を知りました。就活学生が企業面接で「御社のワーク・ライフ・バランスはどうでしょうか?」と聞くときの意味は、「残業はありませんよね?」ということなのだそうです。ワーク・ライフ・バランスという働き方を表す言葉が残業を否定する考えと結びついてしまっていることは、不幸としか言いようがありません。

 私は、残業肯定派ではありませんが、「便利な存在」になりたければ、評価者である上司の都合に時間や行動を合わせる努力が必要不可欠と言えます。必要なときに、そばにいない者を便利に使うことなどできないからです。

上司を支える「役立つ存在」として実力を磨く

 さて、次に「役立つ存在」についてです。会社はクラブ活動ではありません。どのような上司であっても、自分が率いる組織が会社貢献の使命を帯びていることぐらいは理解しています。したがって、「便利な存在」の部下だけで組織運営を行いたいとは考えていません。やはり「役立つ存在」も必要なのです。

役立つとは、与えられている組織の役割を果たすためにいかんなく能力を発揮してくれる存在、または足を引っ張っている同僚のマイナス分を補完する活躍をしてくれる存在のことです。

 ただし、それ以上の存在になると上司との関係は微妙なものになるので、そのさじ加減は要注意です。それ以上とは、上司の足下を脅かす存在のことです。

 古い話で恐縮ですが、1989年にTBSで放映された故藤田まこと主演のドラマに『重役室午前0時』というものがあります。故若山富三郎演じる和倉銀行三代目頭取の下、”役立つ存在”の実力者として頭取を支え、専務にまで上り詰めた主人公が、財閥銀行との合併を推し進める頭取の動きを阻止しようと立ち上がるのですが、頭取はそれを下克上をせんがための行為とみなすのです。

 しかし、専務にそのような考えはなく、単純に合併先の財閥銀行の深慮遠謀を見抜き、実質吸収合併になりかねない和倉銀行の将来、ひいては合併後の頭取の椅子という誘惑に負けてしまっている頭取の目を覚ますために必死の行動を取っていたのです。