最後は、専務の合併反対案が圧倒的多数の支持を得て、和倉銀行は救われます。そして、頭取にとっての「役立つ存在」であった専務が、いつの間にか会社にとっての「役立つ存在」に成長していることを悟った頭取は、専務に後を託し身を引こうとするのですが、そのときの藤田まことのセリフが「役立つ存在」のありがたさを見事に表現しています。「頭取あっての私です」――。

 このように「役立つ存在」になるための努力は、実力を養うことに直結することにもなるので、とても大切です。また、上司のために役立つということは、自分の我をいったん捨てることにもつながります。成長途上の時期に、自分ではなく誰かのために頑張る経験は、我欲をコントロールする術を身につけるためにも大切なことです。

 上司は部下が考えるほど、好き嫌いの感情だけで部下と接しようとはしません。心情的に嫌いな部類の人間であっても、「役立つ存在」を粗末に扱わない術は、どの上司も心得ています。

 また、「役立つ存在」に対しては、それなりに評価してあげないと、上司つまり自分に対する不満を外部にもらされるのではないかという心配もあるものです。もしそうなれば、自分の社内的な評判を落とすだけでなく、「それなら私の部署に引っ張ってやろうか」という他部門のマネジャーが現れた場合には、自分の部署の戦力ダウンを招くことにつながりかねません。

 このように、「役立つ存在」になるために努力するということは、組織を生き抜くための処世術でもあるのです。

チームを和ませる「マスコット的存在」になる

 最後に、3つ目の「和みの存在」についてです。

「和みの存在」とは、組織のギスギスした部分を緩和してくれるマスコット的な存在と言い換えることができます。マスコットの語源は、フランス語の”masqu”だと言われています。”masqu”は「家に幸運をもたらすもの」という意味です。これに当てはめれば、「組織に幸運をもたらす存在」となります。

「和みの存在」は上司だけでなく、メンバー全員から愛されるキャラクターでなければなりません。そうでなければ、組織全体に幸運をもたらすことなどできないからです。

 たとえば、笑顔を絶やさない人がそうです。笑顔で癒されない人はまずいません。また、「コーヒーでもいかがですか?」とタイミングよく気を遣ってくれる人も「和みの存在」です。お茶くみという業務に対しては、前近代的だという批判が強いのは承知の上ですが、それが業務としてではなく、ましてや性別に関係なく、自発的に上司や仲間のためにお茶を出したり買ってきたりする分には問題ないはずです。

 さらに、誰かが大失敗をしたり、ひどく叱られたりした後、さりげなくお昼に誘ったり、飲みに連れて行って悩みを聞いてあげたりすることでケアすることのできる人は、見えないところでも組織に貢献している貴重な人材と言えるでしょう。