食料危機、穀物高といった言葉が日々、内外のマスコミを賑わしている。中国やインドなど新興国の経済成長、バイオエネルギー向け穀物需要の急拡大、そしてファンドの跋扈などがその主な背景理由として列挙されている。それはそれである程度真実なのだが、構図が単純化されすぎていて、重大な論点がたくさん抜け落ちているのが残念だ。今回は、その“盲点”をカバーして、食料需給逼迫の構図をきちんと説明したいと思う。
まず基本として抑えておく必要があることは、つい数年前までは世界的に“食料余剰”であったという事実だ。押しなべてみれば、40年近くそうだったといっていい。なぜ余剰だったのか。実はその理由を知ることで、「なぜ逼迫したのか」という問いかけへの答えに辿り着くことができる。
話は1960年代にまでさかのぼる。欧州共同体(EC)、すなわち現在の欧州連合(EU)は1968年に、「共通農業政策」を策定した。これは、第二次世界大戦後ひもじい思いをした反動から、農産物の高い価格支持(最低価格を下回った場合の介入買い入れ)によって、欧州の食料自給率を引き上げようと試みたものだ。
この政策は、当然ながら、消費減と供給増を招き、需給のバランスを狂わせ、余剰を生じさせた。日本のコメと同じ話だ。
だが日本が減反政策、すなわち生産自体を抑制し、余剰を減らそうとしたのに対して、欧州は農家に作りたいだけ作らせて、余剰農産物に輸出補助金をつけて、国際市場でダンピング輸出した。その結果、1970年~80年代にかけて、農作物の一大輸出国であるアメリカと欧州とのあいだで大変な貿易紛争になったわけだ。
教科書にも出てくるWTOウルグアイラウンド(1993年締結)とはまさに欧州の共通農業政策にたがをはめるために、もっといえば、輸出補助金を削減させるために、アメリカが仕掛けたものだった。
アメリカの輸出補助金削減要求をのむために、欧州は、余剰を減らすため価格を引き下げ、その代わりに農地面積あたりの直接支払いという財政で補償する政策に切り替えた。当初は、過剰在庫を減らせるのか心配されたが、それは杞憂だった。なぜなら欧州はそれまでアメリカから家畜のえさ用に小麦やトウモロコシなどの穀物を大量に輸入していたが、価格が低下したことで、域内穀物への需要が急拡大したからである。
それどころか、1995年以降に穀物の国際価格が上がると、輸出税をかけて、域外への流出を防いだ。この欧州の政策転換で、世界の農作物市場の風景はがらりと変わったといっていい。つまり、需要側の構造変化――すなわち中印の経済成長やバイオエネルギー向け穀物需要の拡大――以前に、実は供給側においてこのような大きな変化が起きていたのである。