他国が戦うほど対岸の火事で儲かるアメリカのしたたかさ

 第一次世界大戦中、日本はうまく(というか狡猾に)立ち回った。中国のドイツ権益を手にし、欧州勢がすっからかんでお留守になったアジア市場を独占したおかげで、製造業や造船業を中心に「成金」という言葉も生まれた。

 でも日本、その後はパッとしなかった。第一次世界大戦が終わる直前には、シベリア出兵(1917年のロシア革命からくる社会主義の波及を食い止める)による米需要の増加を見越した買い占めや売り惜しみから「米騒動」が起こったし、戦後は工業製品の輸出が目に見えて減り、しかも1923年には関東大震災まで起こった。というわけで、日本経済は尻すぼみ、不況が深刻になっていった。

 これに対してアメリカは、まさに経済絶好調だった。第一次世界大戦中、自国が戦場になっていないメリットを活かして、三国同盟・三国協商の双方に軍需物資を売りまくったアメリカは戦後、世界一の債権国になっていた。

 しかもその流れは、そのまま戦後復興物資の販売にもつながり、アメリカにどんどん富が集中した。今やアメリカは、労働力は豊富(大戦中戦火を逃れた欧州移民が労働者に転化)な上、株式市場も発達し、しかも世界の工業生産の4割と世界の金の44%を保有するという、新しい“世界の親分”となっていた。

 1920年代のアメリカは“黄金の20年代”と呼ばれる繁栄期に入っており、消費も生産も絶好調で、一般大衆はラジオ・映画・プロ野球などの大衆娯楽を心ゆくまで楽しみ、住宅・自動車も飛ぶように売れた。

戦勝国、敗戦国ともにボロボロでストレスは最高潮へ

 一方、イギリスは、戦争被害と戦時中の産業停滞などがたたり、完全に“世界の親分”の地位をアメリカに奪われてしまった。国内は不況ムード一色で、失業率が悪化し、労働者のストが頻発した。

 そのような時代の流れを受けて、政治の舞台では労働党が躍進し、年金や失業保険など社会保障が充実した。それに伴い、これまで保守党(元トーリー党)・自由党(元ホイッグ党)の二大政党制だったイギリスは、「保守党と労働党の二大政党制」の国になった。

 ロシアは、第一次世界大戦終盤の1917年、国内でロシア革命が起こってロマノフ王朝が倒れたため、もう三国協商どころではなくなっていた。ちなみに、ロシア革命は最終的に1922年に史上初の社会主義国家「ソビエト社会主義共和国連邦」の誕生にもつながる。資本主義国vs社会主義国というのは第二次世界大戦後の大きな対立軸となって新たな抗争へとつながるが、その話はまた後でするよ。

 この頃は日本のシベリア出兵も含め、社会主義の拡大を恐れる連中が攻め込んできては、大戦後の国内再建のため戻って行くという迷惑なことが続いたため、この後ロシア改めソ連は、しばらくは国土の建て直しと社会主義国家の建設に全力を注ぐことになる。

 フランスは第一次世界大戦後、かなり弱っていた。国土が戦場になったせいでボロボロに荒廃し、ロシアに貸した金は革命で不良債権化。その上ドイツまでもが、賠償金の支払いを待ってくれと言い出した。

 さすがにこれにはカッとなって思わずルール地方を占領したが、本当はこんなことより、ただ金がほしいだけ。結局フランスは、1926年発足のポアンカレ内閣が財政再建とフランの切り下げ(「フラン安=フランスのモノは安い」になり輸出有利に)を行い、ようやく経済が回復に向かい始めた。

 イタリアは実は、大戦初期からドイツ・オーストリアを裏切り、三国協商側に寝返っていた。つまりは戦勝国だ。にもかかわらず分け前が少ないことに、強く不満を抱いていた。しかも国土は戦乱で荒れ、国民の生活は苦しく、ソ連から社会主義思想が入ってきたせいで、労働者や農民の暴動やストが頻発していた。

 そしてドイツは、賠償問題に苦しんだ。絶対に払えるわけのない金額なのに、フランスみたいに本気でアテにしている国があるからタチが悪い。この賠償金に振り回されて、ハイパーインフレは起こるわ、ルール地方は占領されるわ、もう国民のストレスは頂点に達していた。