特需景気からバブル、そして崩壊へと向かうアメリカ経済

 アメリカ経済は、第一次世界大戦後もしばらくは好調だった。これは、ヨーロッパからの軍需物資の注文が、そのまま復興物資の注文に変わったからというのが最も大きな理由だ。アメリカはヨーロッパから地理的に遠く離れている上、当初「モンロー主義」を採っていたからね。だからみんながボロボロになっているなか、一人だけ涼しい顔してモノを売り続けることができたのだ。

 しかし、1920年代の前半から、次第にモノが売れなくなってきた。これは、各国の戦後復興が終わりつつあること、アメリカ経済の生産規模が拡大しすぎて世界の消費が追いつかないこと、そしてソ連が社会主義化して商品の買い手ではなくなったことなどが、原因として考えられる。

 いずれにせよこの時期、アメリカでつくられるモノは明らかに世界の市場では「生産過剰」となった。にもかかわらず、アメリカの証券市場は過熱し続けた。第一次世界大戦中から終戦直後は軍需物資が売れまくっていたため、どの銘柄も株価は下がらず、人々に富を与え続けた。そして豊かになった人々は住宅と自動車を欲し、自動車による移動距離の拡大は、さらに人々の住宅圏を拡大させて不動産の売れ行きを伸ばしていく。

 こうなると、欲望まみれの人間は、ある種のスイッチが入るようにできている。そう、バブルのスイッチだ。つまり、市場は「株価は永久に上がり続ける」という楽観論に支配され、一般市民も株式ブームに浮かれ、実体経済の規模を明らかに上回る投機資金が株式市場を暴走し始めているのに、誰も気づかず誰も止められなくなっていたのだ。

 いや正確には、みんな薄々「今俺たち、ヤバい暴走列車に乗ってるなあ」と自覚し、そこに不安を感じつつも、欲ボケのせいで降り時がわからなくなり、とにかく他人よりも先に列車から降りて自分だけ損をするのだけはイヤだという“煩悩チキンレース”状態になっていたのだ。

 地価も相当ヤバい上がり方になっていたが、より手軽な投機対象である株価の方が上がり方が異常で、ダウ平均は実体経済が冷え込み、生産過剰が顕著になってきたはずの1920年代前半から1929年までの間で、実に5倍も値上がりした。そして1929年10月24日、ダウ平均が史上最高値を更新したわずか2ヵ月後、相場は一気にクラッシュした。

 GMの株価下落を引き金に、それまで水面下で渦巻いていた不安心理、新聞報道、大きな投機筋の売りなどが市場にパニックをもたらし、ウォール街は完全に“売り一色”となった。そしてそのわずか5日後には、ダウ平均は2ヵ月前の約半分にまで下がってしまったのだ。