各書店でベストセラー入りしている、“経営のカリスマ”小山昇氏の最新刊『【決定版】朝一番の掃除で、あなたの会社が儲かる!』でも取り上げられた、自動車リサイクル会社の「シマ商会」。福島第一原発から20.5kmにある本社が突如「地震、津波、放射能」の三重苦に襲われた。
だが、「売上ゼロ」が2ヵ月続いた会社が、2013年決算で「過去最高売上」を達成したという。いったい何が起きたのだろうか?
日本で初めて「日本経営品質賞」を二度受賞、12年連続増収増益中の株式会社武蔵野社長でありながら、指導500社中100社が「過去最高益」、13年連続「倒産企業ゼロ」という小山昇氏と、若き38歳シマ商会社長・島一樹氏の初対談から、売上アップのヒントを探ろう。
「地震・津波・放射能」の3重苦で
「2ヵ月間売上ゼロ」に
株式会社武蔵野代表取締役社長。1948年生まれ。12年連続増収増益、日本で初めて「日本経営品質賞」を二度受賞(2000年度、2010年度)。「指導500社中100社が過去最高益」「13年連続倒産企業ゼロ」を達成。全国各地で年間240回の講演・セミナーを開催。現場の叡智が詰まった内容は、全国各地から「今日から仕事に役立つ」と現場見学会参加者があとをたたない。机上の空論は一切なし!実務中心の内容が口コミを呼んでいる。
……「株式会社シマ商会」(福島県・自動車リサイクル業/島一樹社長)の本社所在地は、福島県の南相馬市。福島第一原子力発電所から20.5kmに位置するそうですね。ということは、東日本大震災の影響をもろに受けたのではありませんか?
島 あまりの惨状に、言葉を失いましたね。地震、津波、放射能、3つの悪魔に苦しめられて、南相馬市は、地獄と化していました。家は流され、海は燃え、鉄道はひねり曲がっていたんです。もちろん、当社も悪魔の標的にされました。相馬市の港に保管していた輸出用車輛・建設機械は、全滅です。震災後は、一時的に社員の域外避難を余儀なくされて、2ヵ月間、売上ゼロです。従業員に支払う給与だけでも1億3000万円が必要なのに、仕事ができないんです。
……小山社長は、島社長の現状を知って、どのようなアドバイスをされたのですか?
小山 震災後、すぐに島社長を助けようと思って、経営サポートパートナー会員(株式会社武蔵野がコンサルティングをしている企業)から、義援金を募ろうと考えたんです。実際、かなりの金額が集まった。でも、思い直して、預かったお金を返すことにしました。
……なぜ、せっかく集まった義援金を戻したのですか?
「金は銀行に行って借りろ。金銭的な援助はしない。
ただし、精神的な支援はする」
1975年生まれ。株式会社シマ商会代表取締役社長。現在、福島県南相馬市で地球環境と世界と日本のエコインフラ構築のため、中古車や建設機械の買取・解体・販売などを手掛ける自動車リサイクル業を展開。世界100ヵ国以上と取引中。東日本大震災で被災。1億5000万円の被害を受けるも、避難勧告解除後1ヵ月で働ける環境にし、被災2年後に「過去最高売上」となる。【株式会社シマ商会HP】 shima-corp.com
小山 金銭的な支援は、島社長をダメにするだけだと気がついたからです。繊維産業をはじめ、“糸へん”や“木へん”の産業が衰退していったのは、政府が保護をしたからです。一方的な援助は、結果的に相手を弱くします。シマ商会に必要なのは、「いまをしのぐ」ことではありません。自力と地力で立ち上がることです。だから私は、島社長にこう言いました。「金は銀行に行って借りろ。金銭的な援助はしない。ただし、精神的な支援はする」と……。
島 小山さんからは、「まだまだできる!」「それじゃあ、手ぬるい!」と、たくさんの叱咤激励をいただきました(笑)。本当に心強かったですね。
……島社長が仕事を再開したのは、いつからですか?
島 被災して当面は、バスをチャーターして、社員とその家族とともに、一時的に避難をしたんです。福島県、山形県、新潟県と移動しましたね。でも、避難を続けるだけではなくて、避難をしながらも「雇用を守る」ための手を打とうと考えました。社員は絶対に解雇しない、お客様を待たせられないという強い思いがあったので、新潟の避難所で業務を再開したんです。いったん南相馬市に戻って、屋内退避圏内の本社からパソコンや書類を運び出し、「新潟元気事務所」を開設しました。