大半のミュージカル歌手(女優)は大きく激しく歌い上げる。地声とミックス・ヴォイスで張り上げて歌う。

 クラシックの声楽では、低域から高域までヘッドボイス(頭声、裏声)で響かせる。ミュージカルもクラシックもフォルテは大音量を目指す。

 安倍なつみの場合は、どちらかというと高音はささやくようなソプラノ・ヴォイスになる。これはあまり例がなく、男声ではペリー・コモのような歌い方で、非常に独創的だ。Mecano(メカーノ)の女性ヴォーカル、アナ・トローハの甘美なソプラノを思い出す(連載第22回参照)。

 もちろん安倍も「夢やぶれて」や「オン・マイ・オウン」のような劇的なナンバーは歌い上げるが、ささやくように素直なハイトーンを生かした曲も心地よい。サラ・ブライトマンはアナ・トローハの曲をカバーしているが、その場合はやはりささやくように歌っている(「月の息子」など)。

 それに、安倍はオーケストラや弦のアンサンブルと合わせるのが初めてで、それが楽しくて仕方がないという空気が伝わる。もちろんミュージカルの舞台では経験しているが、ソロの歌では初めてだった。弦や管楽器とブレスを合わせて歌うのはクラシックやミュージカルの基礎的な技術だ。リズムがほぼ一定のポップスでは縦の線をリズム・セクションやベースに合わせる。

宮本亜門「トゥーランドット」出演が転機に

 本田美奈子が1992-93年の「ミス・サイゴン」初演で初めて大規模なミュージカルに出演したとき、24-26歳だった。岡野博行制作によるクラシカル・クロスオーバーのアルバム「Ave Maria」を出したのが2003年で36歳、そのころすでに音域は地声でF♯(ファ♯)、ヘッドボイスでhihiD(レ)まで3オクターブへ広がっていた。

 安倍なつみは2004年にソロへ転じてからミュージカルに何本か出演しているが、大規模な作品への出演は2008年で、27歳だった。出演したのは音楽劇「トゥーランドット」(3月-5月、東京、大阪、名古屋)で、宮本亜門演出、久石譲作曲、ワダエミ衣裳による大作である。TBSの赤坂ACTシアターのオープニングで幕を上げた。安倍はリュー役に当てられ、「月の人」というソロの美しいナンバーを歌っている。

 この宮本版「トゥーランドット」への出演が転機になったという。ここで表現力の根幹に触れたのである。

「『トゥーランドット』は大きな経験となりました。表現の力を知り、毎日自分が試される刺激を受けました。歌唱法もいろいろ変えてスキルアップしました。表現が広がり、深くなったと思います。高い壁を登る経験でした。ヴォイス・トレーニングでソプラノ・ヴォイスとミックス・ヴォイスを練習しましたが、舞台で言葉を伝えるとき、それまで感じなかったことを感じるようになったのです」(安倍なつみ)。

 この談話は、8月13日に発売したセルフカバーのアルバム「Smile…」(アップフロントワークス、2014)に添付されたDVDに収録されているインタビューによる。1999年から2013年のソロ曲から10曲選び、アレンジを変えて録音したものだ。なかには「ふるさと」(1999)のように、ヴァイオリン、チェロ、ピアノ、ギターによる室内楽風のアレンジの曲もある。ミュージカルの経験がアコースティックなアンサンブル志向を促したようだ。アルバム全体はポップスなので、ドラムスのリズムに合わせたシンコペーションの旋律が多いが、「光へ」とほぼ同時に進行していたので、クラシカルな味わいもある。

 丸の内コットンクラブのライブ(10月24日、25日)では、「光へ」の収録曲の他、「Smile…」から「ふるさと」と「33 Smile Life」を歌った。後者は「25(ヴァンサンク)」と題された2007年の曲で、33歳に合わせて「33(トラントラワ)」と改題し、歌詞も更新した作品となっている。