ところが、話し合う機会がもてず、最初は、「財産ではなく、気持ちの問題」と思っていた人も、「気持ちが通じないのであれば、せめて、財産をもらおう」と変わってしまうのです。そこに弁護士が登場すると、解決の方法は、もう「財産」しかなくなるのです。
弁護士や家庭裁判所に救いを求めたとしても、調停も裁判も、気持ちを汲み取ったり、救ったりするところではありません。
むしろ、お互いの主張がぶつかりあい、対立はどんどんエスカレートしていきます。証拠の提出や主張する場面で、「それは違う」「そんなことはない」と言いたくても、相続人同士で話し合いがもてないのです。そのストレスは、これまでとは比較できないほど大きなものとなります。
もめはじめた頃に、いろいろ言い合っていたときのほうが、表情や声のトーンなどから、まだ、感じ取れるものがあったのですが、裁判所の場面ではそれがありません。
これでは、さらにストレスを抱えることになります。多くの人は相手を恨んだり、責めたりする怒りのエネルギーから体調を崩します。うつ病を発症する人もいます。
裁判所は、財産の分け方を決めるところですので、それ以上は期待できません。
「あなたの気持ちはよくわかった。これからもきょうだい助け合っていきたいので、財産の分け方はこうしたい」といういたわりやねぎらいの言葉を添えてもらえば、もう一方も、「いろいろ大変なことはわかったし、話し合えてよかった」と譲ることができるのです。
相続とは、財産ではなく、気持ちを優先することが大事なのです。