「スバル」ブランドは
北米でなぜこれほど強いのか

 それでは、なぜ富士重工業の業績、経営はこれだけ向上したのか。

 言うまでもなくスバルは、富士重工業のブランド名だが、富士重工業そのものを指す固有名詞として定着しているので、以下「スバル=富士重工業」として述べて行く。

 スバルの業績向上の最大要因は、一言で言えば北米での成功である。今、スバル車は北米においてタマ不足で供給が間に合わないほど、売れに売れている。経営の「集中と選択」と言う意味では、北米戦略を最重点とした商品開発、ブランド力向上が功を奏したのである。

 北米でのスバル車はもともと、雪の多い地域、山間地域などで四輪駆動の技術力で人気があったが、それは地域限定な人気だった。それを主力車「レガシィ」のサイズアップなどと、スバル車の技術力(走りと安全性)の全米訴求、米販売統括会社SOA(スバルオブアメリカ)主導による全米ディーラーのイメージアップ展開などで、ブランド力を向上させていった。

 結果、インセンティブ(販売奨励金)が小さくても売れ、収益性が高くなる。3月期連結業績のスバル車北米販売は、56万9000台、前期比19.2%増と大幅な伸びを示し、スバル車グローバル販売全体の90万6000台のうち半数以上を占めている。

 北米での販売増と収益増がそのまま、現在の営業利益率14.4%という高効率業績に結びついており、北米戦略の成功が最大の主因というわけだ。

軽自動車の原点とも言えるスバル360 Photo:SUBARU

 しかし、一方で国内での軽自動車開発・生産からの撤退と言う決断もあった。スバルと言えば、1958年に発売した「スバル360」が今日の軽自動車の先駆けとなった。当時、「てんとう虫」の愛称で呼ばれ大ヒットして以来、スバルは軽自動車の分野でも独自の世界をつくってきた。

 そのスバルが2012年に軽自動車開発・生産から撤退し、ダイハツからOEM供給を受ける体制に切り替えたのである。

 スバルのトップは、吉永泰之社長。2011年に社長に就任する前は、国内営業本部長を務めた経験を持つ、スバルで初の営業出身の社長だが、「軽自動車の開発生産を止め、コンパクトカーの開発生産も止めて、アメリカにリソースを集中させて成功することができた。北米で成功して利益が出れば、国内向けの開発ができるという戦略でした。国内での軽自動車生産からの撤退は重い決断だったが、グローバルで生き残るためだった」と、吉永社長は述懐する。