1980年代、中国は経済を発展させるために、5つの経済特別区(略して「特区」)を設立した。30年以上の歳月が過ぎ去った今、果たしてその5つの特区を間違いなく挙げられる人がどれほどいるのだろうか?
特区として役割を果たしてきた深セン、珠海は認知され、忘れられてしまうはずはないだろう。台湾に面する厦門(アモイ)は中国本土のとの対立に走った陳水扁時代の影響で、特区としては思い存分に活躍できなかった分、かなり悔しがっているだろうと思う。しかし、残りは2つの特区の存在を覚えている人はそうはいないと思う。汕頭(スワトー)と海南島だ。
汕頭は特区としてスタートしてからそう経たないうちにすでに失速状態に陥り、鳴かず飛ばずのまま歳月を空費してきた。いまやメディアでの露出もほとんどなく、完全に忘れられた平凡な町になってしまった。
1988年に省に昇格された海南島は特区にも指定された。当初こそ創業の新天地として多くの人々に希望の火をともした。10万の若者が海南ドリームを求めて「天涯海角」つまり地の果てと言われるこの島にやってきた。しかし当時20歳だった若者は、27年後となる今年50歳前後になる。男としてはまだひと踏ん張りできる年だ。
しかし、海南についていえば、27歳ですでに老いたも同然である。バブルがはじけた後は再起不能となり、完全に特区としての姿も機能も失った。ここ20数年、海南に再び人材が大規模に流入するようなことはなかった。海南にやってきた若者たちが歳を取るにつれ、海南の誇りであった特区のクリエイティブ精神も尽き果てたのである。
成長率も低い海南から
若者たちが離れていく
中国のメディアやソーシャル・ネットワーク・サービスに、海南についての辛辣な記事や書き込みがどんどん出ている。