通算参拝数1万回の「日本の神さまと上手に暮らす法」の著者・尾道自由大学校長・中村真氏が「神さまのいるライフスタイル」を提案します! 日本の神さまを意識することで、心が整い、毎日が充実する。そして、神社巡りは本来のあなたに出会える素晴らしい旅だと伝えてくれます。
前回、神さまをあなたの生活に取り入れるためには、感謝を習慣化することが大切だと触れました。今回はその感謝についてさらに掘り下げて考えてみます。
感謝への気付き
無数の命のおかげで自分がいる
神社に足を運ぶようになってから、僕は命の起源に思いを馳せるようになりました。
神社をきっかけに歴史に興味をもち、日本人の歴史を遡っていくと、『古事記』にたどり着きます。
しかし、『古事記』は日本のはじまりではありません。記録されるずっと前から僕たちの先祖は生きており、神道や神社ができる前から、働き、食べ、眠り、誰かを愛し、子を育み、太陽や月や雷を神さまとして崇めて生きていました。
たった一人の数十年の命は儚いものかもしれませんが、一人ひとりの命が古代から脈々と続いてきたからこそ、僕たちは今ここに生きています。
父と母という二人の人間がいなければ僕は存在せず、父と母が存在するには父方と母方の祖父と祖母、四人の人間がいなければなりません。
四人の祖父母が存在するには八人の人間が存在しなければならず、八人の曽祖父母が存在するには一六人の人間が存在しなければならず、一六人の高祖父母が存在するには三二人の人間が存在しなければならなかったのです。
こうして、僕の命にかかわる人間は倍々ゲームで増えていきます。
日本という国は古代国家の頃から災害に見舞われ、戦国時代も長く、疫病が流行ったり、近代に入って何度も戦争をしたりしました。それにもかかわらず、先祖たちの命の連鎖が途切れなかったというのは、ものすごいことです。
何万人もの人たちが命をつないでくれなければ、自分の命はない。
自分の後ろには、壮大な命の連鎖が広がっている。
こう気づいたとき、「自分の命は自分のものというより、たくさんの人たちから与えられたものだな」と感謝できるようになりました。直近の先祖である親が、かけがえのない、大好きな存在になりました。
「人類、みな兄弟」という言葉がありますが、あれはあながち間違いではないとも感じます。
僕が何万人もの先祖の末端にいるとしたら、この本を読んでくれている人の何人かと僕の先祖がつながっていることも大いにあり得ます。
先住民だった縄文人と、大陸からやってきた弥生人が家族になって「日本人」という民族ができていったというDNAの研究もありますし、僕は日本人であることに、特別な優越感をもっているわけではありません。
はるか遠い僕の先祖が、日本ではなく別の地域に根を下ろして家族をつくっていれば、僕は日本人ではなかったでしょう。僕は偶然に日本人として生まれたわけです。
別の方向から考えると、二〇一五年時点で日本の人口はおよそ一億数千万人で、世界の人口はおよそ七〇億人。この時間、オンタイムで日本人として生きられる確率は、ざっくり七〇分の一ぐらいです。
もっと神さま的な方向に考えを飛躍させれば、猫でもなくゴキブリでもなく杉でもなくゾウリムシでもなく、人間として命を与えられたことは、何億分の一の偶然かもしれません。
何が言いたいかといえば、僕が日本人の中村真として生まれたのは、偶然に過ぎないということ。しかし偶然とはまた、すばらしい奇跡でもあると感じるのです。
自分はやはり日本人だと思うし、生まれ育った場所であり、八百万の神を信じる精神性をもつ日本という国を愛しています。
愛する人のことをもっと知りたいと思うように、僕はもっとこの国を知りたい。
国を知るやり方はいろいろありますし、人それぞれ好みのものを選べばいいでしょう。
僕は今のところ、神社をきっかけに神さまと仲良くなることは、日本を知る最良の手段だと考えており、「面白そうだな」と思ってくださった方には、やり方をシェアしたいと願っています。
◆今回の気付き
親に感謝をする
三六五日「みんなのしあわせ」を祈る国
二〇二〇年の東京オリンピック招致のために、滝川クリステルさんがプレゼンテーションで述べた「おもてなし」という言葉が話題になりました。彼女はその際、「東京で現金をなくしたとしても、ほぼ確実に戻ってくる」といったことも述べています。
東日本大震災のとき、電気が消えた商店でも強奪は起こらず、辛抱強く列をつくる日本人の姿を見た外国の人たちは、「自分の国ではあり得ない!」と驚いたようです。
日本人の道徳心や、正しさと思いやりを大切にする意識は、どこから生まれたのか? たくさんの理由が考えられますが、神社もそのひとつだと僕は思っています。
神社は祈りを捧げるための場所です。今は人手不足の神社も多く、一社の神主さんが近隣二〇社の神社の神主さんを兼務するという状況も多くありますが、かつてはどの神社にも神主さんがいました。寺の住職さんがお祀りしていた神社もあったことを考えると、たくさんの人が神さまとかかわっていたのです。そして天皇陛下の仕事のひとつは毎日毎日、一年三六五日、すべての国民と世界のために祈ることです。
国の象徴である人が、三六五日、祈る。
全国にくまなく神社仏閣があり、そこでも三六五日、誰かが誰かのために、もしくは何かのために祈っている。
二〇〇年ほど前まで、日本はそんなシャーマニックな国でした。
いまの日本に生きる僕たちは、そうしたことを忘れています。
そのため、同じ日本でも沖縄を見て、「穏やかな時間が流れていていいな。ユタとかノロとか斎場とか、伝統的でスピリチュアルで特別な場所だな」とうらやみます。しあわせの国ブータンや、セドナやチベット、バリ島やインドなど、他の国の聖なるものに目を向けて憧れる人もいます。
しかし、神さまはこの国を捨て、どこかに立ち去ったわけではありません。
僕たちが忘れているだけ。あまりにも知らないだけです。
もともとシャーマニックで、祈りと思いで守られてきた国だということを思い出すだけで、日本がもっと好きになります。「日本人で良かったな」とつくづく思えるのです。
そのためにも、国中に張り巡らされた神さまのネットワーク、神社をもっと知りましょう。そして、神さまと、もっと仲良く暮らそうではありませんか。
次回は、いよいよ「神さま」に会いに行くお参りについてご紹介します。
◆今回の気付き
祈る