別れ際に健太は聞いてみた。

「なぜ生産担当の方でなくて、経企の私が選ばれたのでしょうか」

 田中の答えは、柳澤のそれと同じく要領を得なかった。

「さぁ、私は人事ではないのでよくわかりません。ただ、丸山さんは優秀で、このミッションに最適な人だと上から推薦があったと聞いています」

 その答えに皮肉っぽい響きが含まれていたように、健太には聞こえた。

 健太はデスクに戻ってからも、なぜ自分がこのミッションに選ばれたのか気になっていた。田中から手渡された資料に目を通しながら、そうではないかと気づいたのは、そもそも小城山上海は小城山本体にとってはノンコア事業の一つに過ぎないということだ。だとすると、このミッションは、小城山上海を建て直せる可能性が低いことを確認しろ、ということなのか。そうであれば、技術者ではなく、経営企画の健太が出向になることも合点がいく。どうやら初めから分が悪い戦いに送り込まれたようだった。

 ビザを取得した後、赴任のための身辺整理などを済ませているとあっという間に2週間が経ち、出発の日となった。

*   *   *

 上海に向かう機上で、窓から流れていく雲をぼんやりと眺めながら、健太は例のレポートの一件を思い返していた。そのレポートは、健太がプライベートの時間を削り、2ヵ月ほどで書き上げたものだった。

 そこには小城山製作所の収益力や財務状況が競合比較で分析されており、小城山の劣後した状態が赤裸々につづられると同時に、将来に対する強烈な危機感が語られていた。総花的に行われる事業展開や、収益力の低下に対して表面的な施策しか打ち出さない各事業部への批判が展開されていた。健太の結論は、コア事業でないものは売却・撤退し、大胆な事業ポートフォリオの整理によって一旦身の丈を縮めることであった。

 このレポートを経企内のミーティングに上程した際、部長の柳澤は目を閉じて黙って聞いていた。しかし、20名ほどの部員の多くは、分析が浅い、時期尚早だ、実現性が低いなどと批判を口にした。数少ない支持者の1人が、5歳年長の課長の高橋だった。

「確かにこの分析はもっと精緻に行う必要がある。しかし、それで意思決定を先延ばしにすれば、我が社はより深刻な状況に陥るリスクがあるのではないでしょうか」

 その発言をきっかけに部内の議論は沸騰し、ついにミーティングは何の結論も出ないまま終わった。そして、まずいことに、誰が漏らしたのかはわからないが、各事業部長の間でこのレポートが出回る事態となってしまったのだ。

 当然のごとく、「30代の係長が何を偉そうに言うか」「現場を何も知らないやつが口出しするな」という、批判にもならない批判が噴出した。健太としては、会社が少しでも健全な方向に向かえば、そのための議論が活発になれば……という思いでまとめたレポートだったが、まったくの逆効果になってしまったことを知った。

〈お前が書いたのだから手本を示してみろ、ということなのか〉と健太は自問した。